amber


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あっという間に用事は終わらせてしまった。特にメインだと思われていた土産の買い物は呆気ないぐらいだったのでもしかするとなりに自分に対して気を遣ったのではないかと思えるぐらいで。
しかし朝の時よりも断然楽しそうな彼女の表情を見るからにどうにも無理をしているようにも見えなかったし、何よりこの自分が隣に居るというのに結局XANXUSに対し最後まで怯えというものが一切見られなかったことに正直関心してもいた。ここが平和な国だとしても流石に自分達が堅気の人間ではないことぐらいこの聡い女が気が付かないはずがないのだから。
だというのに平気で他人に荷物を任せ、たかだか隣室の、それも異性に少し助けられたぐらいで1日を預けてしまうというのだから肝が据わっていると言ってもいい。


「そういえばXANXUSさんはどれぐらい後、滞在するのですか?」
「日取りは決まってねえ。仕事が終わり次第だな」
「…あ、じゃあもう少し此処にいらっしゃるのですね」

そう言えば。
そう言えば、女とこういう他愛のない話をしたのはいつぶりだろうか。そもそもそんなことをした事自体あっただろうか。適当に肉欲を刺激するような女がいれば手を伸ばしその肢体を抱き欲望を満たし、終われば金を払って返す。そんな生活を送ってきたXANXUSにとって全てが新鮮なことであることに気が付いた。
今でこそ日本の温泉街でぶらりと歩いているXANXUSだがヴァリアーのボスだ。恨みを買うことは数え切れない程行ってきた。その報復を受ける―出来るものならば、の話だが―ことは当然であることも理解はしている。己の命を狙う人間も居るだろう。
もし自分に恋人だ妻だのという人間が出来たとすればそれが人質に成り得る。恐れている訳ではないが自分の足手まといになるような人間はXANXUSにとっては不要でしかなかった。そもそも愛情なんて言葉に虫唾が走るぐらいだ、今後ともそんな女には出会うこともないだろう。

そういった具合で、例え休暇中であっても、何処に行ったとしても気を緩めたことはない。どんな人間と話したとしても気を張っているのが常で、だというのにこの女に対してそれをしようと思う気持ちは不思議と湧いてこなかった。否、気を張ろうにも張りようがなく戸惑っているといった方が一番現状を説明するには近しいのかもしれない。さりげなく話題を広めようとXANXUS自身のことを問うこの疑問だって本来であれば「煩い」の一言で黙らせてきただろうに不快感はなく返答をしたことに自分のことながら内心驚いてもいた。
この女は、どこまでも自然体だった。


「以上で、予定、終了です」

地図に印をつけていた最後の場所を出て、荷物を片手に持つとはそう報告をした。
となれば、つまり、だ。ようやく夕食の時間というわけだ。そろそろ周りも暗くなりつつあるし旅行客に対し店前で賑やかな呼びかけも聞こえ始めていた。
昨夜が、そしてXANXUSが偶然にも行った場所は所謂”当たり”だった。食事こそ手をつけてはいないが酒の選び方も、それから店の雰囲気も悪くはない。そのセンスを持ったが今夜は何処を選ぶのか。が何を話すのか。
――そこまで考え、思ったよりも自分がと一緒に居るこの空間を煩わしく思っていないことに今更ながら気付く。厄介だとは思わなかったが身の内を焦がす燻った音は未だ消えることはない。こんな普通の女に、俺が?否定の声はなかった。

しかし今夜でこの女とは終わりだ。
明日にははこの温泉街を出て、一般の、普通の、今まで通りの生活へ戻る。XANXUSだってそれは同じことだ。ジェットが直り次第しばらくは9代目の命であっても任務は断るだろうしあまり良い記憶もない日本に来ることはない。


「連れて行け」

どこかで食事をし、それで終わりだ。
そう考えるのが至極当然であるというのに思えば思うほどに身体の内側から痛むのは何故だ。馬鹿馬鹿しい。理由は考えたくもなかった。考えて答えが出たところで無意味であることに違いないのだから。


「任せてください、美味しいところにご案内しますから!」

調べはしっかりと出来ているのだろう。
さあそこへと向かおうとした時だった。今朝方からチクリチクリと視線を感じていたがようやく相手もそろそろ動き出す心算らしい。先ほどまで考えていたことはすっかりと片隅に追いやると隣を歩く女の白い手を取った。


買い物はあっという間に終えてしまった。
これぐらい早くなるのであればもう少しどこかでゆっくりしておくべきだったかとつまらない考えを起こしてしまうほど今日は有意義な一日で終えそうだった。もっと一緒にいたいと思ってしまうのは仕方ないことかもしれない。XANXUSという男はそれほど饒舌ではなかったが会話はほとんど途切れることもなかったし、かといって無言が続いたとしても全然苦痛ではなく寧ろその空気を楽しめるほどの余裕も出来ていたりして。

けれど今日で最後だ。
明日にはチェックアウトをして、残り数日のリフレッシュ休暇は自宅でぐうたらと過ごす。それが当初の予定だし、そうで無ければならなかった。海外旅行へ行くというの予定は最初から狂ってばっかりだったけれどそれでも彼に会う為の予想外の出来事の数々だったと考えるのであればそれだって何も悔いたり不運だったと嘆いたりするものでもなかった。
気が付けばもう夕方になっている。そろそろ調べていた店も開く時間帯だ。


「連れて行け」

XANXUSは昨夜一緒に食事こそしなかったがきっと沢山食べるに違いない。そう見越して食事のメニューも豊富な場所を予約してあった。喜んでもらえるといいなあ、なんて思いながら「任せてください」ともう一度鞄から地図を広げようとしたその時だった。

突如としての手ががっしりとした男の手に包み込まれる。
ハッとし見上げると隣を歩むXANXUSは変わらず前を見ている状態ではあるが彼の手であることに間違いはない。何が起きたのか状況が把握できないまま、XANXUSは先ほどとは違った雰囲気を醸し出しながら、そして先ほどとは考えられない速度で歩み始め、しかし手は握られたままだったので小走りではその後をついていく。横顔を見続ければ先ほど見たXANXUSの笑みとはまた違う、少しだけ悪そうな顔をしているような気もしたが今はまだ彼に声をかけられる状態ではなかった。


「右」
「っはい」

決めていたルートを大きく逸れる。
温泉街の奥へ奥へと歩み続け、真っ直ぐ歩いていたかと思うと十字路になった瞬間に右、右、左、と曲がる方向を短く告げられ慌ててそれに従い歩む。若干息が上がってきていたが何だか二人三脚をしている気分にもなってきた。小走りを止め、少しだけはしたないと思いつつも大股で歩くことでXANXUSの歩調と合わせればフン、と鼻で笑われたが空気は先程よりも悪くはない。
しかし歩み続ければ地図を見ていないだってそろそろ行き止まりであることぐらいは分かっていた。この先に何があるのか。そもそも何故こんなことになっているのかは後々、酒でも飲みながらXANXUSに聞かねばならない。
その声が聞こえたのは唐突だった。


「…荷物、」
「え」
「しっかり持ってろ」

言葉と同時にふわりと宙に浮く体。
突然の横抱きに驚きながらもは言われた通り、荷物である土産物が入った袋を胸元でぎゅっと強く抱きしめた。それをちらりと視線を下げて確認するとXANXUSは屋根へと飛び乗った。比喩などではない。軽く助走をつけて、屋根の上に。
どこぞのアトラクションかと思える程その動きは常人離れしていたし見えるXANXUSの表情に鼓動が高鳴った。目の前の男は愉しげに、凶悪に笑っていた。


「っくそ!」

その後ろでバタバタと黒服の男達が走ってきているのも見える。
どうやら後を付けられていたらしい、と気が付いたのは今になってだった。XANXUSはずっと前から知っていたのだろう。これが朝彼らの言っていた盗難の人間の仲間なのだろうか。聞こうとも思ったがそのまま無言で走り始め、屋根と屋根を軽く越えながら、それでもを抱きとめるその腕はしっかりしていて落とされる心配はなさそうだった。


「…ねえXANXUSさん!」
「何だ」

とうとう声をかけることを止めることはできなかった。そういえばお姫様抱っこなんて初めてされたっけ。
きっと怒られるだろうな、なんて分かりながらもはXANXUSへと正直な感想を述べた。


「ドラマみたいな展開ですね!」
「っ舌噛むぞてめえ!」
「ふふっ」

予定のバーから驚くほどのスピードでグングンと離れてしまっているけれどなかなか体験のできない鬼ごっこを体験できたことには子どものように笑い、今度こそXANXUSも呆れたようにではあったが口元を歪めたのだった。