▼amber
「店内で召し上がりますか?それとも食べ歩かれますか?」
「食べ歩「座る」……すいません、店内でお願いします」
にこにこと笑みを浮かべる店員、何人もの客数をこなす彼女はその笑顔の裏で何を思っているのか、そしてその目に自分たち二人はどう映っているのかと少しだけは気にならないこともなかった。
確かに此処は女将によって教わった場所であり、それからインターネットで調べたところ高評価であった気になっているカフェで間違いはなかった。温泉街の雰囲気を損ねることのないその外観に、店内の木造様式にが心惹かれていてとても楽しみにしていたのも、間違いはない。一人で行動するのも店に入って一人で食事をするのも苦ではなく、ここで少しのんびりしてから昨日練っていたコースを歩もうと計画に入っていたのは確かなことで。
しかしそのルートもそろそろ変えなければならないことは流石のも分かっていた。そもそもこの計画自身、自分ひとりで回るにはなかなか時間的にもギリギリではあった。それでも取り敢えず詰め込むだけ詰め込んでおいたというのが正直なところである。そして前提としてこの計画の思案及び実施者は一人、というものがある。そうでなければこの時点で変更の余地があるのだ。
昨夜と、それから出発の時と。
隣を歩むXANXUSは2度、のチェックしていた場所を目にするとそれから先は自分の持つマップを覗き込むことはなかった。頭で把握しているのか、に任せておこうと思ったのかは分からなかったがある程度は覚えていてくれたらしい。赤のマーカーで丸をしていたところに着くとXANXUSは自分の事など見ることはなく店内へ入っていく。それが可愛らしい雑貨店であっても躊躇することのない様子は手慣れているのかはたまたどうも思っていないのかは分からないが、男性と買い物を行けばこんなものなのだろうかと殆ど経験のない自分は思うしかない訳で。
「(何だか、デートというよりは…)」
もちろん言葉にすることはなかったが引率の先生みたいだな、と正直に思った。
最初の土産屋に入った時にはどれがいいだろう、何をしよう、なんて少しデートのようにも―ただし酒を、である―思えなかったこともなかったし歩きながら他愛なく話をしている時も浮足立っていることは確かではあったが緊張というものは既に1件目に入った時点で消え去っている。一番始めに購入したのが酒であった所為もあったかもしれないが、それよりも可愛らしい店に彼を連れて入る方がよっぽど申し訳なく思ってしまうのに何の文句も眉一つ動かさず気が付けばを先導している形となっていた。それぐらいが自惚れることもなく自身にとっては良いことだろうとポジティブに考えることにして、XANXUSの少し後ろを歩んでいたのである。
今回の店に入る時もそれは変わりなかった。目的はテイクアウトのできる和菓子であったがまあそれぐらいであれば食べ歩きでも良いだろうと思ったし明らかに日本人ではなさそうなXANXUSがこの和菓子を好むのかも、店内の女性の多さと独特の喧騒を嫌がるかと思ったのでテイクアウトを申し込もうとした矢先の彼の言葉だ。
もしかして振り回しすぎて疲れてしまったのかもしれない。朝はそうでもなかったが昼をすぎるとどうしても観光客の数も増え、表情に出すことはなかったが人混みに彼も疲弊していたのかもしれない。そうとは知らず失礼なことをしてしまった、と思いながら座る旨を店員に告げるとテラス席へと誘導された。そこまでは、まだいい。当然の流れだ。何も問題はない。けれど、
「……」
「…この店の席は、横並びか」
「……ええ、そうみたい、ですね」
所謂カップル席とでも言うものだろうか。ちらりと辺りを見渡すと店内にある席も、それから隣の席も対面に座るタイプのものであるのに明らかに自分たちの居る場所だけが異質であった。見晴らしも申し分ない。夜になれば恐らく木の下に備えられているライトが木々を照らし春には桜が、今の時期であれば紅葉が楽しむことができ、居心地良く過ごせたのだろう。勿論、これが本物のカップルであれば、の話である。
当然ながら2人はそういう関係ではない。しかし男女が連れ添ってこういう店に入れば勘違いする店員がいても仕方のないことだし、わざわざ店員にそれを説明することこそ不自然である。わかっている。だけどまだ頼んだものも運ばれていない今であれば場所を隣に移すことだってできるのだから、とは瞬時に考え、しかしXANXUSに座れと指示されるかのように顎で示されると色々と思考することを諦めちょこんと座ることになったのであった。その後、の隣にXANXUSが座り、彼の日本人よりも随分と大きな体格の所為か自分の右足と彼の左足が密着する形となりさらに縮こまる形となってしまった。
「…お邪魔します」
決して、嫌なわけではないのだ。
寧ろ好ましいと思える男性の隣で座れることは嬉しいとさえ思えるのだけど、それはあくまでも一人の考えであって彼が何を考えているのか分からない。仕事の息抜きだと聞いてはいたがそれであっても今日一日をの為に空けて付き合ってくれていて、それがただ疲れさせてしまっただけなのであれば彼にとっては息抜きにも何もならず、申し訳無さが募るばかりだ。
そんなの考えなど知らぬXANXUSはこの至近距離故にこちらを見ず背もたれに背を預けながらまっすぐ前を見つつ自分に声をかける。
「歩きっぱなしは疲れねえのか」
「え?…ああ、ええと旅行なので歩きやすい靴ですしそこまで移動はしていないので私はあまり。XANXUSさんこそお疲れではないですか?」
「俺を誰だと思ってやがる」
その返答は、XANXUS自身体力に自信があるということだろうか。別に間に休憩を挟まなくてもよかったということだったのだろうか。当然だと言わんばかりのその様子に、へ投げかけた質問。
つまりこれは、この店で座ることを選んだのはもしかして…
「…お気遣い、ありがとうございます」
「るせえ」
それが例えすぐに否定のようにかき消されたとしても、思い上がってしまいそうだった。声には出さず口元を緩めていると隣の男も朝から考えると随分雰囲気も軟化しているような気がしていた。特に砕けた様子になったわけではない。態度も朝から大して変化している訳ではなく敢えて言うのであれば纏う空気が、といったところだろうか。
勿論のことは一介の会社員だ。上司もいれば同僚も、部下こそいないが自分よりも後から入ってきた後輩も居る。そんな中、幸いにも人間環境には恵まれていたからこそXANXUSのような人間はある意味新鮮だった。スクアーロの上司だとは言っていたが確かに上に立つ者のオーラというものはにも感じ取れた。
があくまでそれは彼の与する組織内であってには何ら関係のないことだ。年齢だって聞いていたわけではないが然程変わりないような気もしたし、あまりにへりくだった態度だって失礼に値する。とにかく、の中では盗難にあった自分に親切な旅行2人組。その認識で以て接してきていたのだがそれらの態度こそ暗殺者2人にとって新鮮であったことに気付く訳がない。
「お待たせしました〜!」
そんなの思考を停止させたのは元気よくかけられたその声と、テーブルに並べられた2つのオーダー品。人気メニューだというみたらし団子と抹茶のケーキにそれからは抹茶オレを、XANXUSは軽食はの好きなように選ばせエスプレッソを注文していたのでそれらが先に互いの手元に並べられる。
「XANXUSさん、どちらを食べますか?」
好きな方を選んでもらって後から自分の分を選ぶつもりであった。どちらも魅力的だったので取り敢えず選んではみたが実際目の前にするとこれもまた酒の時以上に悩んでしまいそうだったのでこれは先に選んでもらおうと決めていた。
逡巡する間も置かずみたらし団子の方を選んだ彼にどうやらコレ自体は知っているのだなと何となしに思い、余った方の抹茶ケーキを自分の前へと置く。手元が緑のものだけになってしまったがこれは随分と美味しそうだ。いただきます、と小さく呟いて小さく切り分け一口。
「…おいし」
つい、口元を綻ばせてしまうほどに程よい甘みと、後々やってくる苦み。あまり細かいことも分からないが確かにこれは皆が注文してしまうのも仕方のないことだろう。
そうやって一口一口を楽しんでいる横でXANXUSはみたらし団子とエスプレッソという少し変わったといえば変わった組み合わせである。はエスプレッソをあまり飲むことはなかったが彼がシュガースプーンに砂糖一杯をサラサラと入れ少しかき混ぜているのが見えて意外と甘党なのかと新しい発見にほんの少しだけ、驚きはした。
昨夜のバーでもそうであったが彼は案外粗雑そうに見えてテーブルの前に座り食事の場面になると一切、その雄々しさは鳴りを潜め綺麗に飲食を楽しむことに気付いていた。ちらりと店内を見ると明らかに外国人だと分かる風貌の旅行客が茶蕎麦を慣れない様子で箸を持ち啜っていたがそういえば彼は不自然さを一切見せることがなかったと思う。日本暮らしが長かったのか、それともマナーはきっちりと叩き込まれていたのかは定かではないがこれはみっともないところを見せるわけにはいかないと心なしか背筋を伸ばしたその時だった。
「……美味いのか」
「え、…あっ」
グイッ
何が起こったのか、も理解するに少しだけ時間がかかってしまった。
一口食べてから手が止まったを不思議に思ったのか、それとも自分の「美味しい」という言葉が気になったのかの手首を掴んだかと思うとその手に持たれたフォークを己の口へと運びそこに刺さっていた抹茶ケーキを大口で、ぱくり。
「…甘いな」
「そ、そうでしょうね。生クリーム、入っていますから」
それから抹茶ケーキには興味が失せてしまったのかもう一串の団子に手を伸ばす彼に対し彼に聞こえないように静かに息をつき、それからこのドクドクと突然早鐘を打ち始めてしまった鼓動の音が聞こえないことを切に願った。
「食うか?」
「…い、いいえ大丈夫です。お腹、いっぱいになりそうで」
「フン、晩飯までに腹は減らしておけ」
「わ、…わかりました。頑張ります」
生クリームたっぷりの抹茶ケーキも、甘めに頼んでおいた抹茶オレもきっと美味しかったに違いない。断定できなかったのはもうそれどころではないぐらい、味覚が狂ってしまったのかと思うぐらい緊張し舌が仕事をしなくなったからであった。
触れられた手首が未だ尚、熱を持っているのかと思うぐらいに熱い。
ほんの数秒、彼の無防備な顔が自分の手に近付いたそれを思い出すと今すぐにも逃げたくなるような、しかしそんな事ができる訳もなくはひたすら冷静に、冷静にと己を落ち着かせることに努めることにした。
後、もう少しだけ。XANXUSがそれを食べ終わり、自分も抹茶ケーキを食べ終わるそれまでにこれら全てを処理しきらねばならない。そう考えているのと同時にこの甘ったるい思考に浸ってもいたいと矛盾した気持ちを抱えながらは静かに味のしなくなってしまったケーキを頬張ることに専念する。
「(…ずるい)」
今、この時ほど彼の隣の席で良かったと、思わずにはいられなかった。
きっと自分は誰の目でも分かるぐらい紅潮しているに違いないのだから。
その男、
無自覚につき。