CoCoon
「これで機嫌直してください」
「……私、機嫌悪く見えますか」
「うっ」
術士が異端であるところの1つに、力を行使する際リングは不要だということが挙げられる。
己が元来持つ炎を灯して肉体を増強させたり、リングや匣で手に入れた新しい力を以って攻撃パターンを増やしたりすることは肉弾戦をメインとする人達が主に恩恵をあやかるのだと思う。
もちろんそれは術士も力を増強させるという意味ではリングの恩恵をあやかっているには違いないけど、少しだけ意味合いは違う。
術士は始めから術士だ。
リングや炎というものの存在が明らかになりそのシステムを利用して匣兵器というモノを戦闘に用いられている今とは異なり、大昔から魔法使いと言われたり、場所を変えれば聖職者、悪魔だと呼ばれてきた人達も術士だった。
そしてリングというものは元々存在しなかった。
自分の肉体とそこに宿る術士としての力、才能さえあればそれで術士としてやっていけたのだ。今となれば匣兵器だのリングだのと色々な武器が開発されてややこしくなっているだけで。
「精神世界での術は随分精錬されたというのにどうして僕の前では暴走するのですかね…」
「分からないなら一生分からないと思います」
「……」
つまり何が言いたいかというと私のパニックや恐怖から引き起こされる幻術での暴走はリングがあっても無くても規模こそ違えど根底的なところで言えば何も変わらないということだ。
先生やクロームだってその気になれば三叉槍を使わずとも幻術を起こすことは可能だし、フランだって今でこそヘルリングをつけてはいるけど元々スカウトされたときは何も持っていなかったのだから。あくまで術士にとってリングや武器は力の増強剤でしかない。
…だから自分のことながら情けないけどリングをつけたまま暴走してしまえば力は嫌でも増強されとんでもない事態になるだろう。先生からリングの使用許可を得ているのは精神世界のみで、だからこそさっきのキメラ事件も1体出しただけで済んだ。
本日2度目のキメラは今度は自分で回収した。ただその幻術に含ませた力を無くせばいいだけで、平常心を持っていれば容易いことである。
そんな訳で、気絶をした場合の暴走はとっても厄介なのだ。その幻術を行使したときに使った力を使い切るか、私を叩き起こして私が解除するか、私よりも強い力を持った人がそれを消さなければならない。もちろん此処にいる人たち…いや、犬さんや千種さん以外の3人は私よりも強い力を持っているけれど無意識の暴走ほど厄介なモノは無いらしくかなり手を焼いているらしい。
「…嘘ですよ、もう怒ってないですからそんなにしょぼくれないでください」
そろそろ先生を苛めるのは止めておこう。後から他の人に八つ当たりされたら申し訳ないし。
あの後、先生は私の手を引っ張ってリビングへと連れて行き椅子に座らせチョコレートケーキと珈琲を用意してくれた。
どうやら私用に買ってくれたらしい。これで機嫌を取ろうとしている先生の魂胆は丸見えだったけれど私だってそこまで怒っている訳ではない。あれは事故だった。…多分。
それにしても口の達者な先生だというのに私に対してはやけに弱いらしく、こうやって彼が一言話す度に少し噛み付くと見て分かるぐらいにショボンとしてしまって少しだけ可愛いとさえ思ってしまう。
「…君に早く会いたかったんですよ」
「?精神世界でよくお会いしていますけど」
そういう先生は細く綺麗な指を組みながらケーキにフォークを差す私に対し僅かながらに目を細めて微笑みかけた。これで落ちない人はいないのだろう、なんて思うけれど先生はまだこの人だと決めた女性は居ないらしい…というのはフランから聞いた。
お師匠様が先生の腕は確かだけど手を出されないようにしなよ、なんて忠告をしてくれてなければ何も知らずこの微笑みに撃ち落とされていたことだろう。いや、今だって尊敬はしているし好きか嫌いかと問われれば恐らく好きの部類には入る。だけどそれはいわゆる恋愛感情かとなると分からなくなってしまう。
それに、初めはクロームとそういう仲だと思っていたっけ。あの距離、あの話し方、あの雰囲気。どう考えても何も関係はないです、なんていわれたところで信じられるものではない、入り込めないソレ。だけどハッキリとした答えは聞いたことがなかった。
どうやら10年前に先生が復讐者の牢獄に投獄されていた時代、互いに助け合っただとかを聞いた気がする。
それって色々な事を共有しているし恋仲ではないかと思ったこともあるけどクロームが真面目な顔をして「私はが好き」なんていうし、先生に聞いたときも「僕はをこんなに大事にしているのに疑うなんて」とか良く分からないことを言ってくるものだから結局は分からずじまいだ。
「いいえ、そうじゃないんです」
いいえ、ともう一度繰り返した先生は私の方へとその指を伸ばし私の顎を掬いとる。
ケーキを食べている最中に何をするのかと訝しげに先生を見返したけど先生は至って真面目に私をじぃっと見ていた。
色の違う両の目は確かに綺麗だとは思うけど私は先生の視線が少しだけ苦手だ。どうにも見られていると思うとくすぐったくて、反応に困ってしまう。
そんな私の戸惑いにだって気づいているか分からないけど先生の指はそのまま頬へも触れた。
「もっと早く、生身の君に」
「…先生?」
いいえ、と3度目の否定。
柔らかく笑った先生は大人の魅力と、不思議な色気に満ち溢れている。
「修練中でない時は骸、と」
買ってきてくれたチョコレートケーキはとっても甘く、その声だってそれと比べようもないぐらい甘い。
フランが私を甘やかしてくれているような、クロームが私を溺愛してくれているようなソレとは比べようも無いぐらいの。糖分過多。過剰摂取はあまりにも毒です先生。
カチャンとお皿の上に置いたフォークが大きな音を立てる。結局、先生も私に甘いし、私だって先生に甘いのだ。多分、ね。
「言い忘れていましたけれど」
「…はい」
そういえば今回、誰も言わなかった言葉。
すっかり忘れていたけれど私はクロームに初めて言われたその言葉にとても安心したのは確か。だから、彼にも。
頬に触れた手の上に私の手を重ね、
「お帰りなさい、骸さん」
一応自分なりに笑顔を向けたつもりだというのに骸さんはそのままポカンとした後、自分の手で顔を覆ってしまった。
見られないほどの酷い顔をしていたというのかとちょっとショックを受けるもその隠し切れなかった頬が少しだけ赤くなっていることに気付く。
「……、それは卑怯です」