oCoon


は至って普通の人間である。


挑発-A 
―城島犬及び柿本千種の報告書―


彼女が千種達の前に姿を現したのは黒曜へ来てから少し経過してからで、自分達の主である骸が連れ帰ってきた人材に興味を覚えたのも仕方のないことではあった。
何しろ期間限定とはいえ新しい人間を迎え入れるなんてことは10年ぶりである。その時だって骸は自分達2人を連れフランスまで行っていたのに今回は幾ら共に行くと訴えたものの却下され、何故かその理由は彼すら知らず「クロームがそういうのですから」と曖昧に返されたもので当然犬の八つ当たりは彼女の方へ向かったのだ。

『今はまだ、…教えない』

ところが彼女は彼女で特に説明をすることは無く、見たことのない表情で沈黙を貫き通していたものだから結局のところ知るのは彼とフランがを連れ帰ってからである。

が暫く心を許した人間以外と会うことはがなかったその原因とは即ち”幻術の暴走”。骸もフランもそれからクロームも陥ったことのないそれ。
否、クロームの場合は10年前のリング戦辺りだろうか、千種達と合流したその頃、骸の力を借り受けた時に黒曜ランド内ではあったが若干の暴走に近しいものはあった。
彼の強大な力を使いこなせず、そして当時は骸も復讐者の牢獄に繋がれていた為教える師の存在すら居らず1人で傷だらけになりながら修練に励んでいたことも千種は知っていた。しかし自分達2人は術士ではなく、また、骸の命令以外のことを聞くことはない。結果としてクロームは1人でその力を習得することになったのだが暴走時はやはり千種や犬にも被害が及んだのも随分と懐かしい話だ。
あの時ですら大概手を焼いたというのに彼女、の暴走の場合はもう比べ物にならないのだという。

『純粋に術士としての力勝負であれば僕やフランですら危ういかもしれませんね…何しろ彼女の力の底が見えませんから』

しかしクロームとでは全く、条件が違ってくる。
クロームは確かに骸とは契約無しで彼に身体を貸すことのできる特殊な役割を担っていた。だからこそ他の六道輪廻の力を借りることが出来たのだし、何より元々は他人だ。他人から貰った力を使いこなせず持て余しているのであれば理解出来ないこともない。
しかし彼女、は彼女自身の力だ。生まれた頃から素質は持っていたものの後天的に現れたその力は確かに元々彼女の体の内に眠るものであったにも関わらずコントロール出来ないのだという。
そう教わったのはヴァリアーからを連れ帰ってきたすぐの事だった。しばらくは彼女も自分達の前に姿を現すことはないし彼女の気配を感じたならば顔を会わすこともなく隠れなさいと言われ、その待遇ぶりに不思議に思った彼らにようやく説明がされたのである。

『暴走の切っ掛けは過度のストレス、緊張。つまるところ僕らでは役不足と言ったところです。後はクロームとフランに任せましょう』

誰しも得意・不得意なものはある。
それに彼が帰ってきたのと同時に長期任務が骸の元に舞い込んできて、普段であれば断っていたというのに何故かそれを受け入れ、きっとこれが終わって再度顔を合わせる頃になれば彼女の緊張も随分緩和できるだろうというのが骸の見解であった。
彼の言うことも最もなことで、彼女が新しい環境に慣れるまでは直ぐにに対してベッタリ状態だった術士2人に任せておくのが得策だと出立の前に彼らの様子を見た千種は感じていた。

それから暫くは骸の言った通りの生活を送り、そして3人の出発時に初めて姿を見ることとなった。あまりにも強大な力を持つ女と言われ想像もつかなかったが初めまして、と静かに挨拶をする彼女は少し昔のクロームに似ていないこともない。千種も犬も適当に相槌を打ったことを確認するとはすぐにクロームの腕に抱きつきそれからフランが彼女の手を握りしめるという異様な光景は、しかしの心の安定には不可欠なものだという。
暴走の結果どうなるか、というのはその場では知ることもなかったが骸が言うことは絶対なのだ。知りたいと思う反面クロームの時のことを思い出すとあまり見たくはない、といったところが正直なところだろうか。

『…行ってらっしゃい、皆さん。それから、先生も』
『ええ。行ってきます』

何故かこの時点でやけに骸のことを避けている節があるが本人に聞けば最後間違いなく八つ当たりされるのは目に見えて分かっており、恐ろしすぎて聞くことはできなかったのである。
長期任務が1件舞い込んで来ていたところだったのでちょうど良かった、と彼は言ってはいたが千種も犬も長年従ってきた主のことを多少なりとも分かってはいるつもりだ。間違いなく彼女のことを気に入っているということぐらい分からぬ彼らではない。がしかし骸が気に入っていたからと言って、だから彼女も彼のことを好くとは必ずしも限らないのだ。
それでも実はと顔を合わせて話をするのは少し久しぶりであると骸の口から聞かされれば犬だって黙ってはいない。

『骸さん、あの女お気に入りならマインドコントロールしちまえばいいのに』

ただ犬の場合はそこにプラスされた異性への感情に関しては未だ無知に近い。思わずたしなめるように犬の名前を呼ぶが骸は楽しげに微笑むばかりだった。
そして呟く。彼女を縛り付けることは出来ないのです、と。どういう意味なのか分からず首を傾げ続ける犬に対し上機嫌の彼は丁寧に説明を加えた。

『好いた女性を力で無理やり堕とすのはあまり僕の趣味ではありません』

つまるところそういう事なのだと。珍しく犬が顔を赤くして吠えたのは、良く覚えている。



「…護身術?」

だからこそに強くなりたいと。
最低限自分を守る力が欲しいと言われ困ったのは確かだった。従いたい人間がいても守りたい人間なんて千種にはいなかったが、好いている人間が、守りたいと思っていた女が逞しくなられれば骸も嫌がるだろうと。思わずぽつりと呟いたその言葉をは聞き逃さなかったがお得意の『めんどい』で潜り抜けたものの内心焦ってしまった。

骸が彼女のことを気に入ってるだなんて誰もがきっとわかっていることだろう。
しかしそれ以上にフランもクロームのガードが堅く、且つこれまで幾度となく精神世界で骸によるの幻術向上の為に行われてきた修練の結果、幻術の暴走は飛躍的に減った代わりに骸に関してのみ少しの感情の高ぶりで軽い暴走状態に陥るというとても困った事態になってしまった。故に、彼は未だにに触れられずにいる、ということも千種は知っていた。
が先日、の独断で並盛へ行った時は仲睦まじそうに車で帰ってきていたのだがそれ以降何の進展もなく相変わらず有幻覚による謎のキメラにガブガブと頭をかぶりつかれている状態で良い方向へと進んでいるとお世辞にも言えることはなかった。

「…じゃあ、逃げてみて。術はなしで」
「はい!」

彼女のお願いにどうすべきだと思ったのは犬も同様だったらしく救いの手を待つかのように千種の方を見たので仕方なく教えることにしたのだ。

例えば、手を掴まれた時にどうやって抜け出すか。
例えば、万が一誰かに捕まった場合どうやって切り抜けるか。

彼女は例を出してその護身術を覚えた場合の使い道を答えたが恐らく並盛へ行った時にその事態に陥りそうな事に巻き込まれたのだと分かる。学ぶことはいいことだ。それは千種も否定はしない。
それならば大人しく庇護されておけばいいのにとも思うのだが流石に24時間ずっと誰かの側にいるなんて難しいことも、わかっている。しかし、

「…本気でやってる?」
「……はい」

跡には残らぬような強さで彼女の手首を掴み、彼女がどうでるか様子を見たが本当にそれは本気の力なのかと思えるほど非力っぷりに一般人とはこんなものなのかと驚いた。千種の腕を掴んでググッと力を入れる様子も、手首を回してどうにか拘束から抜け出そうとしているその様子からも決して遊んでいるようには見えない。
これが、の力?
こんな人間が、術士の世界においては破格の力を?
骸のマインドコントロールのようなものを持っている人間に目をつけられてしまえばとんでもない事になるに違いない。幻術とは無縁ではあったがそれぐらいは安易に想像がつく。これはアルコバレーノもとんでもないものをこちらに送り出してきたものだ。

「…すいません」

何と手のかかりそうな子供だろう。
期間限定と言われてもいつまでとは聞かされていない上にこの少女は骸のお気に入りだ。恐らくはまだまだ元の場所に帰ることは、ない。

「お前に術士の力が無けりゃただのお荷物らよなー」
「…すいません」

だけど千種にはどうしても分からないことがあった。
何故彼女がこうも3人の術士に好かれているのか。骸に関しては本人の口から答えに近いものを聞いているがあの2人は特に誰かに対し固執するような人間ではないことも10年の付き合いがある為理解はしていた。こんな風にそれこそ時間があればベッタリ、だなんて今まで見たこともなかった。。特に目を見張るような美人といった訳でもないというのに何故、ああも溺愛されているのだろうか。

「…」

どうせ誰かに聞いたところで惚気じみた答えしか返ってこないだろうし犬に聞いてもロクな答えが返ってくるとは思えなかったのでこれは誰かに対して口にすることはなかったのだが。ああ面倒臭い。考えるのはもうやめよう。
自分達はただ言われた事を聞くだけでいい。だから今日の事もただ言われた通り、書き記すだけでいい。他は、彼女を溺愛している術士達に任せてしまおう。


は一般人である』
は普通の匂い』

彼らの手書きによる報告書は走り書きでそう、締めくくられていたのであった。
以上。



「ところでは強くなりましたか?」
「全然」
「……そう、ですか。それはそれは」
「骸さん嬉しそうらびょん」