oCoon


クロームの視線に、それから何の感情も感じられない言葉に、返そうとした言葉は途中で消えていく。
その間にもぽたりぽたりと十字架を伝い垂れていく血。じっと見つめるその目は間違いなく私を戒めようと見下ろしていた。当然だ、クロームがこうなっているのは私の所為なのだから。

が神を裏切ったから』

私がディヴィーノを裏切ったから。
一際大きな咳をした後に生暖かく赤黒い液体が振りかかった。ひゅう、ひゅうと息の漏れる声。震えて青くなりゆく唇。力のこもっていた指がだらんと力なく下がり苦しげな表情から段々瞳から光が失われ固く閉じられる。まだ生きていると辛うじて分かるのは彼女の身体が上下に動いていたからだ。だけど瀕死であることには変わりない。

「クローム!…いや!嫌ぁあ!!」

力を振り絞っても動きを拘束するベルトのようなものは決して取れることはなかった。私の声が、悲鳴だけが響く。
どうして、どうしてどうしてどうして!

私さえいなければクロームがこんな目に合わなくて済んだのに。
開いた口からは嗚咽が漏れ、無力な自分が憎い。後悔と自責の念に苛まれながら叫ぶしか出来ない自分が、ただ苦しい思いを、痛い思いをしている彼女を見ているだけしか出来ない自分が心底憎い。
私に力があるのであればこんな事にはならなかったのに。私が誰かに頼らなければこんな事態には陥らなかったのに。私が、…私はここに居るべきじゃなかったとその考えに行き着くのは至極当然だった。

私さえいなければ。私が余計なことをしなければ。誰かに頼ろうと思わなければ、…寄りかかろうとしなければ。
私が黒曜に来ることがなければクロームは今頃フランや骸さんに囲まれ、犬さんと千種さんと共に何の問題もなく生活をしていたはずなのに。
続く筈だった幸せを、平穏を彼女から奪ったのは私。術士として力があり、だけど使いこなすことの出来ない、私。この絶望的な状態で、身動きの取れないこの状態で私が確実に行えることと言えば。
唯一私が出来る、この現状を変える可能性の高い方法。視界が涙で歪みながら意思の放棄を決める。
その先に待つのは一番恐れていた、厭っていた幻術の暴走。ただ思考すればいい。力を振るえばいい。
クロームを何事からも守り抜く鉄柵を。それから、この場を潰す程の創造を。

「……ごめ、んなさい…」

これがいけない事である、してはならない事であると思ってきたからこそ私はこの力をコントロールする為、黒曜にやって来たのだ。分かっている上でその選択肢を選ぶしかないなんて今まで教わって来た人に対しひどい裏切り行為であることはよく分かっている。
だけどこれしか方法がないのであれば躊躇うことはない。
目を瞑り唇を噛み締めもしも創造することが出来るのであればこのまま暴走し現れたものに殺されるのもいいと思えた。

このまま朽ち果てるのならばそれでもいい。
それでクロームをこんな目に合わせたことの償いになんてなりやしないけれど、ここで誰にも見つからず死に絶えるならばそれでもいい。誰にもこれ以上、迷惑をかけないのであれば。暴走し彼女を助ける力に成り得るか。
これがもしも黒曜から近い場所にあるのであれば彼らはきっと気付いてくれる。骸さんやフランがこれに気付いてくれる。彼女だけでも助けてくれたなら。その為に何の代償を払っても私は怖くない。


――『もっと、心に余裕を持って、

息を吸って、吐いて。
まさに手放す直前、実行に移そうとしたその直前に凛と脳裏に響くクロームの声に思わず身体が固まった。
冷たさはそこにはなく記憶にある通りの優しさ、それから厳しさが含まれていた。どこまで自分に甘くあるつもりかと叱咤したくなる。どうしてこの言葉を今思い出したのだろう。その発言者は今私の所為であんなところにいると言うのに。

……本当に?

はたと思考が止まる。
思わず目を見開き、視界に彼女の姿を映し出した。十字架の上に括りつけられた彼女。手は銀の杭によって標本のように縫い止められ、目を固く瞑り身動きを取らなくなった彼女は本当に、私の知っているクロームなのか。あの六道骸の補佐としてボンゴレの霧の術士として名を馳せた凪なのか。
目の前で傷ついている人を見てそんな事を考えているなんて最低だと自分でも分かっている。…だけど。思えば思う程、ちりちりと身体の奥底から何かが燃え上がろうとしているのを静かに感じていた。
だけどそれは怒りの赤い炎ではなく私を落ち着かせるための藍色の炎。生まれた頃から私に宿っていた、…クロームも、フランも、骸さんも生まれながらにして持っている死ぬ気の炎の色。

「……」

やがて湧き上がるそれは初めて持った感情だった。
今までの私ならこの状況に絶望し、既に力を暴発させていたに違いない。今もまさにそれで気を失い人を傷つけるような創造物を生み出しても何らおかしくはない状態ではあったけど。
そんなギリギリのところで踏みとどまれたのはやっぱり彼女の言葉だった。

――『幻覚と現実の区別をつけて』

感知の能力を身につけることは失敗したものの基本となる心構えから全てをクロームから教わった。
我ながら悲しきかな、スプラッタな幻覚は骸さんの創り出したもので随分と見慣れてしまった。だからこそ取り乱したもののすぐに落ち着いていられたところも、意識を簡単に放り出さなかったところもある。
それから、…冷静になった今、クロームがこんなところで捕まらないという自信も、私をこうやって責めたりしないという根拠もない確信が生まれつつあった。
甘えに近い、だけど私は彼女をそう理解しているし信じている。共に過ごしてきた間に生まれたこれが信頼。

区別をつけて。
言葉通りに従い力を込めるのは腕でもなければ身体でもない。ただただ、視る。クロームを、…否、クロームを創り出しただろうその炎を。私の上にめらめらと燃え上がっていた藍色の13番目の炎を。

「許さない」

私を謀ったことを。
彼女を汚したことを。
その感情を、思ったことを今一度声に出せば私の上で力強く燃え上がっていた藍色の炎が大きく揺れる。ほんの一瞬、それが消えたかと思うとこの空間自体が暗闇に包まれびゅう、びゅうと生暖かい風が吹くばかりだ。
相変わらず私の拘束は解けることはない。
だけどその場は確実に変化を遂げ、炎が消えたと同時にクロームの姿が消えていることに気付く。十字架はまだそこに立っていたけれど誰も縛られてはおらず、やっぱり彼女は幻覚で創り出されたものだったとここでようやく認識した。

「…っはぁ、ハァ…」

いつの間にか息を止めていたらしい。口を開き酸素を取り入れ力を抜き目を瞑った。

吹き付ける風が寒い。
身体に食いこむベルトが痛い。だけど良かったと本当にそう思えた。
ここに彼らはいない。それがどれだけ救われたことか。こんな場所を皆に見せることなんて出来やしなかった。汚点。汚物。もう疑いようはない。私を攫った人間も、その機関も。だからこそ彼女にこんな場所には全然似合いもしない。
だってここはディヴィーノ。
神になれると信じてやまない狂った機関の人間の住まうところなのだから。

忘れたくて考えないようにしていたけれどこのやり方に見覚えがあった。
最近はすっかりと思い出すこともなく、お師匠様に拾ってもらってから、骸さん達との修練でいっぱいいっぱいだというのに少しずつ昔のことを思い出してきているのはお師匠様にお願いした忘却の術が薄れていった訳じゃない。
元々覚えていた。
忘れているわけではなかった。
ただ厳しく楽しい生活の中にひっそり埋もれていった記憶。だけどこの空間はそういう場所。奥底に眠っていた嫌な記憶を引き出すには十分すぎる再現度を誇っていた。

――他人の深層心理を探り、恐怖だと、恐れているものを幻覚で出し、一種の暴走状態に陥らせ被験者の持っている最大の力を測るこの方法は。
その力を持続させるために薬や幻術を見せ続け常に死ぬ気モードに追いやり、その炎絶えるまで使い捨てにしようとするこの非道なやり方は。

「スバラシイ!とてもとても、スバラシイ!」

答えは言わずともけたたましい笑い声と共に向こう側からやって来た。
『Go to heaven』の入り口からゆっくりとした足取り、ゆったりとした早さで拍手をし続ける一人の男。つま先から頭のてっぺんまで真っ白で、だけど血のように赤い瞳をした男。
あの時の彼だった。並盛で会ったあの時既に見付けられていたのだ。もっと前から私のことを知っていたのかもしれない。ずっと見られていたのかもしれない。だからこそ1人になった瞬間こんな事になってしまったのだから。
ギリリと威嚇するように睨みつけたところで彼は全く動じることはない。嬉しそうに、楽しそうに微笑みながら私に言葉を投げかける。

「やっと会えたね僕達のタカラモノ。目覚めはどうかな?」