oCoon


「やあ、待たせたね」

約束の時がやってきた。
ゴーン、ゴーンというどこからともなく聞こえる荘厳な鐘の音と共に涼やかな声。
それが聞こえたと同時にこの白い空間いっぱいに霧が満ちるが稀代の術士である彼らがその登場方法に驚くことはない。性格や思考など様々な彼らだがその持っている力は本物であり、だからこそ幻術に対してはそれなりのプライドもある。
むしろどちらかといえば闇夜に紛れる術士らしいといえば術士らしい、静かで大人しく慎ましいその術の内容に関心する。


やがて霧が晴れ、彼ら二人の前に現れたのは黒のマントを羽織り同色のフード目深に被った一人の人間だった。
頬にあるマークと言い、僅かながらフードから出る髪色といい恐らく間違いなくマーモンだろう。噂ではまだ呪いは解けきれずあれから少しずつ緩やかに年を取っていくものだと聞いていたがそれであれば恐らくマーモンは現在10前後の年恰好になっているはずで、しかし目の前の人間はどう見てもそんな年齢には見えない。

「クフフ、なるほど。君が一番にその呪いを解いたというわけですか」
「…」
「師匠ー。アルコバレーノって強いって聞いたんですけどー別に登場方法を師匠と比べる訳じゃないですけど結構地味な人ですねー」
「黙りなさい、刺します「ゲロッ」」

ちなみに霧が自分たちの身体に纏いついたその瞬間、フランは器用にも己の頭に被っている林檎をカエルへと変化させた。骸にとっては意味がよくわからないものではあったが一応これが彼なりの”ご挨拶”というものらしい。
馬鹿馬鹿しいと思いながらも三叉槍でそのカエルを容赦なく突き刺し、それでも二人の足並みは揃い、マーモンであろう人物へと無遠慮に近付いた。

目の前にいるその人物はフランよりもまだ背は低い。
二人にとって赤ん坊になる前のマーモンは見た事がないのだからこれがそうなのだろうと把握する。対する相手は少し後ずさったものの一言も言葉を発することはなかった。

「…さて。約束通り僕達はやって来ましたし、ご自慢の弟子を見せてもらいましょうか」
「もしかして師匠を怖がって逃げたとかー?それなら分かりますー、だって師匠って見るからに全部が危ゲロッ」

ふざけた被り物に本日数度目の三叉槍を刺して黙らせる。
どう考えても目の前の人物以外、人間の気配はないのだ。
これでどこかに隠れているのであればそれなりに力はあるといったところなのだろう。この目の前のマーモンが隠しているのか、それとも弟子であるという人間がどこかにいるのか。視線を巡らせてもそれを感じることはできない。

無言の中、先に動いたのはフランだった。

「あまり待たせすぎると師匠が怒りま…す…」

何気なく、目の前に立つ人物の顔を隠す邪魔なフードを取り去った瞬間だった。

「…っ!」

彼らの目に最初に入ったのはさらりと流れる紫がかった長い髪。
次いで陽に当たったことのないようなシミ一つもない白い肌。そして、不安げに揺れる黒い瞳に、赤い、唇。

少しだけクロームに似ていると思わなかったことも無い。
だが、彼女もあれから10年を経て芯のある強い女性へとなっているもので、どちらかというと10年前のクロームに似通うところがあったが…目の前の人間はそれ以上に、庇護したくなるような、手を出したくなるような、そんな危うい色香を放っていた。

「…」
「……」

間違いなく、数秒もの間2人は口を開いたまま声も出さずその目の前の人間に見入っていた。そのマントの下から見えているのは女だとわかる緩やかな身体の曲線、胸の膨らみ、そして細く白い足。間違いなく、これは、

「…女性だったのですね。なかなか、これは」
「師匠顔が赤くてキモいですー」
「お前も鼻血が出てますよ」

赤ん坊であったマーモンの性別を考えた事は無かった。
先ほどまでの態度をどうしてくれようかと思いつつ骸はつい自分も鼻から垂れるものが無いかと確認する。そのまま未だ言葉を発しない女の手を取り手の甲に口付けるとピクリと身体を震わせたのが分かった。

かつてリング戦で戦った相手ではあるがこうも可憐な少女だとは思いもしまい。確かに声は高かったが何しろ当時は赤ん坊の姿で、呪いが解ければあのウェルデのように無精髭の人間でした、なんていうことは当然有り得たのだから。
それにしても彼女はあまりにも若い。

触れている手はいつのまにか震えていた。
それが骸へ恐怖を覚えたのか、それとも男慣れをしていないが故の恥ずかしさからなのかは分からなかったがそんな反応は彼の中の何かを擽るには十分過ぎるもので。

「あっ、…ぃ」
「おやおやどうしました?」

ああ、恐れられているのだと。怯えてるのだとわかった。
以前リング戦であれほどまでに敵対していたのだ、その気持ちは分からなくもない。
こんな反応は今まで異性にされたこともなく、無自覚にも楽しげな笑みが浮かぶ。クロームはこのことを知っていたのだろうか。


――もっと近付けばどうなるのだろうか。
その震える身体を己の腕に抱き込めば。そしてその赤い唇に噛み付けば。

そう思いながら彼女にさらに一歩、歩み出したその時だった。

「っお師匠様もう駄目!」

その場で座り込む彼女。え、と呟くフラン。
マントからぶわり、と霧が再度漏れ出るのはその瞬間で、あまりの速度に誰もが反応できずにそれを真正面から浴びることとなった。
それも超高濃度のもので、一瞬息が詰まりそうになり視界が真っ白になる。

「…ムム、やっぱりダメかい」
「!?」

聞きなれた言葉遣いがその場からひとつ。気がつけば人の気配が一つ、増えている。
再度霧が晴れれば女は腕に子供を抱いており、その子供からは不機嫌そうな表情が身体全体から滲み出ていた。

骸とフラン、両者ともに目を見開いた。


一体、これは。

「お前のせいで幻術を効かせられているかどうかもわからなかったじゃないか」
「うう、お師匠様ごめんなさぁい」
「ムギャ!僕を圧死させる気かい!?」

この言葉遣いを聞くからに――ようやく骸は理解した。把握した。
つまりはマーモンはまだ呪いを解くことは出来ておらずこの目の前の子供こそ緩やかに年をとる彼であり。
そしてこのマーモンの格好そっくりの少女こそがマーモンの弟子ということで。…つまり、自分たち2人は物の見事、彼女の術に騙され、マーモンの姿を隠すという術中に嵌まっていたというわけで。

それが一体どれほど高難度であることか、恐らく彼女は無自覚に違いない。
術士として、またボンゴレの霧の守護者として名を馳せてきた骸も、そして復讐者ですら騙しとおせるという素質を持つフランも隠されたマーモンの気配に気がつくことがなかった。…おそらく、彼女に見惚れていなかったにしても、見つけることは出来なかったに違いない。

それでも目尻に涙を浮かべた少女はえぐえぐと泣きべそをかきながら師匠と仰ぐマーモンを抱きしめ、そしてマーモンはむぎゅむぎゅとその胸に遠慮なく押し付けられ心の底から不快そうな声をあげる。
こういったところでは素直なフランは「いいなー」などと言葉を漏らし、そしてその師である骸は一度考えることを中断し、「同感です」と返したのだった。

「師匠、ミーも女の師匠がいいですー」
「…奇遇ですね。僕もお前よりあの子の方を弟子に取りたいものです」



「「(師匠と)(おちびと)チェンジで」」

彼らの初対面は、大体こんな感じ。