朝からざあざあと雨音の煩い日だった。
夜も更け、雨の部隊が遠方からの任務より帰還し部隊長であるスクアーロが遠慮もなく例の大声で任務終了である「解散!」の言葉を発し沢山あった気配が疎らになったことを確認すると、そっと私室を抜け出し彼の部屋へと走った。
廊下の薄暗い電気だけでは何とも心許ないが己の電撃を足元に集中させることによりその暗闇は別段苦ではなくなる。


「…?」

ぎしりと何か軋む音が聞こえた気がして足を止めようと思ったが、今はそれどころではない。
目的地の、自分の部屋よりも明らかに装飾されているドアを響かぬよう静かにノックをする。僅かの間の後、開けられる扉。
来訪者がであることを確認すると部屋の主は目をやや丸くさせた。


「お尋ねしたいことがあります」

緊張で声が少し上ずっているのは自分でもわかっていた。
突然の訪問であることを先に詫びると、


「入れていただけますか、スクアーロ様」
「…ああ」

風呂上りだったのだろうか。
上半身裸で頭からタオルを乗せた状態のスクアーロは一瞬戸惑った様子を見せたが、の言葉に頷き扉を大きく開いて彼女を招き入れるとぱたりと小さな音をたて扉は閉まる。
廊下には再び静寂と暗闇が戻った。






盗み見をするつもりはなかったが、気が付けば自然と息を殺していた。やましい気持ちはないとは言いきれず、暗闇が戻ったと同時に大きく息をつく。


「…」

蒸し暑さに寝付けず階下に足を運んだのが事の発端だった。
仕事は怖いぐらいに順調だった。最近は負傷者もなく任務を成功させ続けそろそろランクを少しだけ下げて新人である達も他部隊の後衛ではなく嵐隊に合流させようかと思っているぐらいで。
何より彼ら新人組の活躍は目覚しいと方々から声が聞こえれば自分が指導してきたわけではないが誇らしい気持ちになるのには変わりない。
任務は楽しい。難しければ難しいほどに攻略が面白い。楽しむことは間違えているとスクアーロに怒られたことはあったが知ったこっちゃない。楽しめた方が人生はお得なのだ。

そんな時に、見てしまったのだ。がこんな時間であるにも関わらず気配を隠しながら静かに廊下を歩き、そしてスクアーロの部屋へと向かったのを。他人の気配に敏感なはずの彼女が、階段を降りている自分の姿には気がつきもせず。
彼女はこの屋敷の玄関に一番近い小さな部屋を与えられている。スクアーロが帰宅したことを確認した後にやってきたのだろう。勿論、彼に会いに。彼に話をしに。


―――『入れていただけますか、スクアーロ様』

その時の彼女の顔は此方からは見えていない。
ただ、スクアーロが大きく喉をごくりと動かしたことだけは遠くからも何故か分かって。


『ああ』

肩を抱くようにして彼女を招き入れたその姿は、まるで己に対し見せつけるようで。


「…んだよ」

すとん、とその場で座り込んだ。胸がざわつくのはもう疑いようがない。
初めてスクアーロがを合同任務に連れていったあの日、彼がの手に口付けた時確かに感じたのはスクアーロが持つ彼女への恋慕の情。あの一時の任務で、なんて笑ってもいられない。自分だって心を奪われたのは一瞬の出来事だったのだから。
そして同時にはっきりと分かったのは自分の、スクアーロへの嫉妬。


「なっさけねー」

今まで欲しいと思った女や、玩具は強引にでも手に入れていたというのにに関しては身動きが取れなかった。同じ部隊の部下だから、なんて理由ではない。
文字通り身動きがとれなかったのだ。彼女への想いで。

くしゃりと髪をつかみ乾いた笑みを漏らす。
一体自分は何をしていたのだ。いつかのスクアーロに「あれはお前のモンじゃねーよな?」と確認のように聞かれていたことを忘れていたのか。確かには自分のものではないから「ちげーよ」と飄々と返していたことを。
でもいつか、いつかは。いつかは手に入れて。自分のものだけにして。
そんな気持ちで今まで過ごしてきたというのにいつの間にかの中では深夜にスクアーロの部屋に訪れるほどの何かが出来上がってしまったのだろうか。


「どうすりゃいいんだ」

脳内はもう、滅茶苦茶だ。
こういうとき自分はどうしていたかすら思い出せない。そもそもこういう事があっただろうか。攻略が難しければ難しいほど楽しい?そんなことはない。出来ることならこんな苦しい事はとっとと終えて楽になってしまいたい。


恋もセックスも初めてではないというのに考えれば考えるほど雁字搦めになってしまう。
理由は理解っていた。知っていた。それでも認めてしまうにはかくも情けなく――答えは驚くほど単純明快で。だからこそどうしようもなかったのだ。

今までこれほどまでに、心を奪われたものはなかったからだ。
しかしながらそれをどうにか出来るほどの方法も、手腕も、力無く座り込む彼にはなかったのだが。



雨音に隠された
…王子らしかった俺ってどこにいっちまったんだっつーの。