本来ならば彼女はベルの部屋に易々と入れるような立場ではない。分かっている。スクアーロの一言さえなければきっと何もできないままだっただろう。
部屋は昨日送ったおかげで知っていた。一応本人からいつでも来ても構わないと了承は得ていたがまさかこんな早くに訪れることになるとは流石に思ってもみなかったが。

部屋の前に立って、深呼吸。ふと扉を見ると夜は暗くて気が付かなかったが彼の部屋の付近はやけに細かな傷がついていることに気付く。
彼も何か修練を行っていて、その結果のものなのかもしれない。


「…ベル隊長。です」

返事はない。時間も時間だ。寝ているかもしれない。
明日に仕切り直すかと思ったその時、カチャリと解錠の音が聞こえドアが小さな音を立てて開いた。そこからベルが顔を出す様子はないが、内側から開いたのだから入ってもいいということなのだろうか。


「失礼します」

部屋に明かりはついておらず大きな窓から見える月の光が部屋をぼんやりと照らしていた。
今の今まで寝ていて、自分が起こしてしまったのかもしれない。申し訳なく思いながらも彼の姿を暗闇の中探すと


「あはぁあ゛」

――様子がおかしい。
普段から突飛な行動に振り回されてばかりだったが、それとはまた違うような。
ベッドのところで構えている彼は完全に戦闘モードで殺気が抑え切れていない。


「…隊長?」

訝しげな視線をベルへと向けた瞬間、ナイフが飛んできた。慌てて軌道を読みそれを避けるも通されたワイヤーがを襲う。
ピッと頬を掠め血が流れたことを確認すると自分も懐からワイヤーを手にした。


『俺が変な笑い方をし始めた時は近付くなよ』

いつかのベル自身から聞いていたのはこれの事なのか。次々と投げられるナイフを避けながら以前言われていたことを思い出す。
確か先輩方からベルが血を流した際は敵味方見境なく襲い掛かってくる可能性もあると聞いたこともあったが彼から血が流れている様子はない。


「…成程。これが、自分の抑えられない力というわけですか隊長」
「ししし!俺、王子だし。それぐらいのオプションあって当然っしょ」
「王子かどうかはこの際知りません。私は私の上司のベルフェゴール様の身を案じてやってきたのですから」

キラリと光るナイフ。ワイヤー。
先程部屋に入る前に見えていたあの細かな傷はこれが何度もあったということだったのか。
神経をとぎ済ませれば自分が今一歩でも動けば命にかかわる程の大怪我を負う配置に張り巡らされていた。投げつけながら自分はいつの間にか罠へ嵌められていたのだ。このトラップは確実にを戦闘不能に陥らせるために張られたもの。確かに彼は天才だろう。

この男は本気だ。ならば、


「あなたに明言しておいたとおり、防御壁は張りません」
「王子にハンデとか馬鹿にしてんじゃねーよ」
「…私の上司を返してもらいます」

どうぞ、起きてくださいね。そう呟くと同時に彼の張り巡らしたワイヤーに手をやり、彼が動くよりも早く雷を伝達させ見舞わせた。
それはほんの少しの痺れを与える程度の雷。しかし彼女の手元は強い電撃によりワイヤーが発火し張り巡らされていたそれがぷつりぷつりと切れ始め、ナイフが重力に逆らうことなく金属質の音を立てて落ち始めた。
チッと舌打ちするベルに対してはゆっくりと語りかける。


「私もね、よく力を暴走させて親に半殺しにされたんですよ」
「それはお前が弱かっただけだろ」
「ええ。よくぞ私を殺さず、生かしてくれたと思います」

目を隠す相手を対峙することは初めてではないがやはりやり難いと思う。どこを見ているか分からない。何を考えているのかすら読み取ることも難しい。
ベルと武器を交えるのは懲罰房での一件以来だがあの時とは自分の能力も知られている故に軽々しく動くことは出来ない。
油断すれば殺されるというそんな恐怖がある。あの時とは違う、異質な雰囲気に飲まれそうだ。
味方にすればこれほど心強いものはないが敵にすれば厄介すぎる。


「命を賭してでもそうすることは親であるから当然と。愛しているから当然と」
「お前は俺の親じゃねえよ」
「そうですね。でも私はあなたのことを敬愛していますよ」
「!」

怯んだ。
一か八か、ベルの目の前で大きく火花を散らす。人間誰しも目の前に炎や光り輝くものがあれば眩くて動きが止まるものだ。
読みどおり一瞬動きが止まったのを見計らい、彼の領域へと滑り込む。押し倒すのは一瞬のこと。ぼふりと音がして彼の身体と共に後ろにあったベッドへと沈み、馬乗りになった



「……いつまで寝ぼけてる場合ですか。熱もあるのに、大人しくしてください」

その、頬に触れた。昨日触れたばかりのその、頬へ。
純粋にあの瞳をもう一度見たいと思った。昨日見た、最年少幹部の綺麗な瞳を。それはの中に生まれた初めてと言ってもいい、小さな欲望だった。

最初は殴るなりして目を覚まさせるつもり満々だったが、それはやはり戸惑ってしまい結果こうなってしまった。
若干命の危機に陥ったところだ、自身も若干火照っていたが彼にかけた声は自分で思ったよりも優しく。


「…んだよ、」

昨夜ぶりに見た揺れる彼の瞳は、いつもの彼らしくない、それでいて昨夜見たものよりも更に弱々しいものだった。
何故、どうして。いつもの自信に満ち溢れた彼はどうしたというのだ。の中で疑問が湧いたが、とりあえずは元に戻ったらしい。
これが怪我ではなくただ単に寝惚けていたという迷惑極まりない事象であることは勿論は知らない。


「っわ」

流石に人の布団に寝転がることも、ましてや上司に馬乗りになっているという行為に今更気付きその場を動こうとすると腕を掴まれ視界が反転し、今度は自分が押し倒されている状態で。
驚きに目を見開くとベルはの頬についた血を自分の指で拭い取った。気のせいか彼の指は少し震えている。

彼も人間なのだと不意に思った。自分も暴走をして親に止められた時、己の両親を傷付けたときは恐怖した。愛すべき者を失ってしまうような気がして。
彼は、あの時の自分と少し似ている。


「お前…何で逃げなかったんだ」
「引き時が良くわからなくて。…すいません。ベル隊長に攻撃するつもりはなかったんですが」
「も、いい」

この手の件で自分の部下を気付かずに傷付けていることは嵐隊の中では周知の事実だったがまだ先輩方と一緒に仕事をしているわけではない新人達が知るわけなかったのだ。

――お前は俺を信じて防御壁を張らなかった。
なのに、俺は。


「…わりい」

だから、も笑みを浮かべて、答えたのだ。


「先ほどまでベル隊長にしてきた非礼全てを許してくれるのであれば無かったことにします。
あと、今ので緊張が解けて身体が動きません」

すいません、と逆に謝罪する彼女に脱力しながらも一生勝てやしない。何の根拠もなくそう思った。

見舞い試合
「…とベルが一緒に寝ているんだが」
「ブーーーッ!」
「うお゛ぉ゛い汚ぇぞレヴィ!」