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「それ、どうしたの」
「転んだ時にちょっとね」

つくづく、という人間は甘いのだ。

彼女は恐らく何も知らないだろうが、以前雲雀の姿をしたが魅了してしまった風紀委員の面々はただの不良集団ではない。

授業も間もなく終わると言ったその時間にバスケットゴールが転倒、近くにいた押切が怪我を負ったという話はすぐに流れてきた。
兼ねてからバスケ部が老朽化を訴え買い替え希望の稟議書をあげていたものだったが、それは見事全額が風紀の費用に割り当てられた為に涙を飲んだというのは委員長ないし部長クラスのみが知っている事実。

全く、100%関係ないとは言いきれないそれに、自分の知り合いが怪我をするという事は多少雲雀の中で思うところはあった。


「わ、ケーキ!いいのこれ!」
「好きな方選んでいいよ」
「今日は良い日だなあ…」

こんなもので許されるとは思ってもいないけど。
突然のところに押しかければ病院はもう閉まっていたらしく、我流で何とか手当てはしたらしい。
ひょこひょこと歩くの姿は痛ましく、その足首に思わず眉を寄せる。


「雲雀は食べないの?」
「食後にでも食べるよ」
「じゃあ冷蔵庫に入れておくね」

隔日の割合で雲雀はの場所へ訪れた。
最近はまもなくやって来る新年度ということで例年通り仕事が山積みになり家に帰るのが面倒になっているのだ。それに、と一緒に居るのも悪くは無い。

物静か過ぎず、かと言って煩くもなく。
学校ではもちろん他人を装っているのでここだけが唯一の話場だった。
馴れ合いを好まない雲雀にとって一番心地良い距離で、空間になりつつあったがもちろんそんな事は当の本人は知る筈がない。


、明日は何か用事でもあるかい?」
「特に無いかなあ」
「…明日花見があるんだけど」

トン、トンと野菜を一定の速さで切る音が、特に意味もないが落ち着く。
を連れていこうと思ったのはただの気まぐれだった。


「こんな足だし、明日は1日家にいようと思って」
「…そう」
「誘ってくれてありがと」

そう、言われてしまえば次の言葉が見つからない。
大体怪我をする前から誘おうとは思っていたのだがなかなか言う機会に恵まれず前日になり、そして足の様子を見れば何となく分かっていた答えだったので仕方ないと言い聞かせるしかなかった。

包帯に巻かれているその足首は実質どんな状態か分からないが今は休養をとって治すのを優先にするのが1番だろう。だから、仕方ない。
だと言うのに、


「隼人達も誘ってくれたし、気が付かない間に桜も見頃なんだねえ」

独り言にも近いそれに面白くないと思ったのは事実。
すっかり忘れていたが、のクラスには厄介な人間が何人かいる。そう言えば以前の雲雀の偽者がだということを知っているのも自分だけではなかったんだっけ。
未だに正体は雲雀だけが知っているものだと彼女は思っているが鈍いの事だ、もしかしたらの場合も有り得る。

雲雀の偽者がで、押切だという事実はあまり、知られたくない。
それは決しての事が心配だからとそういう事ではなくあくまでも、自分の為だ。


「…随分と仲が良いんだね。ハヤト君とは」
「羨ましいなら紹介してあげようか?」
「いらない」

思わずぴしゃりと断ってから、しまったと後悔した。
ぷいっとから顔を背けて黙ってしまったものの、これは年上としてどうかとも思う。

…何故か、の前では前々からこうなってしまう事が多いのは自覚している。こんな、子供っぽい事をする事は今までに無かったというのに何故この女の前だけこうなってしまうのだ。


「っ、!」
「私は雲雀とも同じぐらい仲いいと思ってんだけどなあ」
「…」
「あは、それは違うって?」

無言の中、雲雀の頬に当てられたのはトマトジュース。恐らくが買ったのだろうが最近の若者らしくない趣味である。
ハア、と一つため息。もういいや、この際言ってしまえ。そんな軽い気持ちでトマトジュースのプルタブに指をかける。


「名前」
「…えっ」
「僕の名前を知らないとは言わせないよ」
「…私不器用だから慣れたら学校でも呼んじゃうかもよ?」
「別にいいんじゃない?」

はい、と缶を開けてに渡す。
いつだってこの自分より年下のこの人間は、自分に甘い事を知っている。そして自分のかけた言葉の意図なんて知る由も無いのだ。


「…恭弥って変わってるよね」

案の定、困ったようにトマトジュースを受け取った彼女の笑みは最近割と気に入っている。


「トマトジュース好きなの?」
「色々使えるんだよー。メインはレッ…」
「?」
「ううん、何でもない」