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「…今何時?」
「まだ6時ぐらい」
「ありがと」

朝日が部屋に入ってきてああ若しかして遅刻かもしれないとやや浮上した意識は今日が休日であることを思い返し、時刻を律儀に教えてくれた恭弥に礼を言った。
最近は私の寝起きのもごもごとした言葉も聞き取ってくれているようで意思の疎通ができているなあとやや感動しながら瞼を閉じて。
…閉じて。


「…恭弥?」
「何」

もう一度眠りの為にと閉じた瞼は今私の置かれた状態を再確認するために恐々と再び開く。
―――今の状況を把握するための時間が欲しい。切実に。

この目の前に広がる温かな壁は、多分恭弥の胸。自分の後頭部に回されているのは多分、恭弥の手。そして私の足は恐らく恭弥の足にガッチリホールドされていて身動き一つ取れない。


「…え、え、え、」
「煩い」
「あ、ごめんなさい」

敵う訳がなかった。
叫びたい気持ちと状況整理に頭を動かしている間に再び恭弥は静かな寝息をたてて寝始めてしまった。確か小さな物音でも起きるとかそういった感じの人だった気がするんだけどこれちょっとでも身動きしたら殺されちゃうのだろうか。
どういうことだかさっぱり分からないというのに彼はどうしていつもこうマイペースなのだろう。

そして眠ったかと思ったらさっきよりも随分強く抱きしめられている気がする。私はいつの間に抱き枕へと変貌してしまったのか。寝ぼけているのかしら。
如何に年下とは言ってもやっぱり鍛えられた人と至って一般人の私との歴然とした力の差に少しは格闘したものの半ば諦めを覚え、私はそのまま眠りについた。






次に目を覚ましたのは恭弥が身じろぎした時だった。
僅かな揺れにうっすらと目を開くと思ったよりも近い位置に恭弥の整った顔があって、慌てて遠ざかろうにも未だ簡単に身動きすることすら許されない状態にあった。
ああ睫毛長い。羨ましい。綺麗な顔だ、なあんて思っているけれど本当にどうしてこんな状況なのかが未だに分かっていない。


「あ、あの、恭弥さん」
「何」
「これは一体どういうことでしょうか」

昨日の事を思い返しても所々で記憶が曖昧だった。
確か倒れてしまった恭弥を寝かしつけた後、夕食を作って。
桜が見物だったとテレビでも言ってたものだから窓から見える花を肴に冷蔵庫に入れてあったビールで一人夜桜見物を決め込んで…そこから、どうだったか。
確かビールを飲んだところを見られた気もするし、年齢も暴露させられた気もする。だけど、その後は?

ハッとして自分の身体を目で確認すると幸いなことに服装に乱れはない。嗚呼よかったと思わず独り言が漏れて、恭弥は私の顔を覗き込んだ。


「…何の心配をしたの?」
「いやーほら、酒の過ちと言いますか、ワンナイトラブを経験しちゃったのかーとか何だか思ってたけど本当に昨日のこと覚えていませんすいませんでした」
「ソファで寝た君を運ぶのは苦労したよ」
「…ごめんなさい」

どうやら酔っ払ってソファで寝こけた私を布団に運んでくれたみたいなので記憶も曖昧なまま謝罪の言葉を口にすると「ほんとに覚えてないの」と呆れた口調で呟かれ更に頭を抱える事になってしまった。
酒には弱い方ではないけれど昨日は疲れからの鬱憤を晴らすべくひたすらアルコールを口にしていたし、一番好きなビールをトマトジュースを割って飲むレッドアイもトマトジュースが先に切れてしまってビールばかり口にしたことも、多分悪かったのだろう。

20歳を超えて酒を飲む場は何度か行っているが記憶を飛ばすほど飲んだことも、頭痛を起こしたこともない。まさかのこのリボーンの世界で。そんなばかな。


「あの、私何か粗相を…」
「…まあ別にいいんじゃない」
「いやいや良くない!」

パッと顔をあげると彼の顔はもう目と鼻の先にあって、恭弥の驚いた顔が良く見えてハッとした。
…例えば、悪戯心を起こしてどちらかが少し顔を前に出せば唇が触れる距離。
そんなことを考えると今まで大人しかった心臓が突然早鐘を打ち始め、今更顔が赤くなるのを感じたけれどこればっかりはどうしようもなく。

恭弥は勿論そんな私みたいな反応をするわけもなく目を細めるだけでこっちを楽しげに見つめてくるばかり。兎に角離れるのが先決と3度目の抵抗を試み漸く彼の拘束から離れられ、ふぅと一息ついて天井を見上げた。

朝から何だこれは。一体どうなっているの。
こういった事にはてんで疎い私でもこれは不味いと分かっている。遊ばれていることぐらい分かってはいるけれど、これは。


「…昨日はそんなに嫌がらなかったのに何で逃げるの」
「ぎゃあ!」

僅かに機嫌を損ねたような恭弥の声が耳元で聞こえ、ゾクゾクとしながら慌てて耳を塞ぐ。が、


「…昨日は?え、ちょっと待ってどういうこと」

聞き逃す事の出来ない一言に問い詰めようと振り返ると恭弥は逡巡した様子を見せたけど直ぐににやりと嫌な笑みを浮かべ、
まるで悪戯っ子の浮かべるそれに冷や汗をかきながら更に詰め寄ると恭弥の綺麗な指が私の輪郭をなぞり、不意に近付いてきたかとおもうと額に唇を落とし「内緒」と答え。


「内緒って…」
「昨日のお返し。さ、お腹空いたからご飯作ってよ」

先ほどとは打って変わった清々しい顔に、今度は私が苦悩する番だった。
おでこにちゅーされたけど、これもどう反応したらいいの。

そして、一体、私は何をやらかしたというの。