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その動作がとても緩慢だったのか、はたまた私の目にスローモーションで映っただけのかどちらかだったというのは私でも良く分からなかった。
ただ言えるのは避けようと思えばいくらでも避けることができたこと、恭弥がキスをしてきたことに対してひとつも嫌な気持ちはしなかったし、むしろそれは私を幸福感でいっぱいにさせたことだった。

何てことはない、私は彼と一緒にいることが好きだったし結局彼に惹かれていたことは紛れも無い事実だったのだから。

それ、でも。
そんな幸福感の裏側で、頭の中ではまさか、とかそんな、とか否定の言葉が沢山飛び交っていた。彼がどういった意図で今口付けを寄越したかのことについてじゃない。いや勿論それも気にならないといえば嘘にはなる。けれど今はそれ以上に、


「どうして泣いているの」
「えっ、」

恭弥に言われて頬に手をやってから初めて涙を流していることに気付いた。
止めようと思えば思えるほどに溢れて、どうしようもない。こみ上げてくる嗚咽を殺すこともできずとうとう視界は歪みきってしまった。
そういえば此処へ来て初めて泣いたかもしれない、なんてちょっと場違いな事も思ったりして。


「嫌だったかい?」
「違うの。違うけど、…そうじゃなくて、」

説明をしようにも言葉が見つからない。
それでもこの涙は恭弥の行動の所為ではないという事だけはどうしても分かって欲しくて恭弥の肩に顔を埋めて涙が引っ込むよう努めた。

恭弥は何も言わずに私を掻き抱いて私はそれに甘えるように彼の背に腕を回す。
脳内では沢山の、今まで気付かなかったことがぐるぐると回っていて。



間もなくやって来る、新学期。
繰り上がる私たちの学年。

春。

恭弥の体調不良。


―――桜。



ああ、そう言うことだったのかと。
桜の花弁を見た瞬間、唐突に理解してしまって頭が言うことを聞かなかったのだ。

私が何も考えずに彼らと一線を引いて日常を過ごしているその裏側でじわりじわりと知らない間に物語はゆっくりと進んでいたのだと。
少し離れているその間できっと私が見てきた漫画の通りにこなされてきたのだと。

そして登場人物ですらない私はそれを傍観するしか、方法は無いのだと。
少し引いていたと思っていた足の怪我がじくりと痛む。


突然、お前は部外者なのだと指差しで笑われた気がした。




そもそも、参加すら許されていなかったのだと思い知らされた。