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追いかけられている。走って逃げる。そこの角を右に。左に。階段をかけあがる。どこへ行けばいい。どこへ逃げればいい。

「どこだ!?」
「どこにいった!」

どこへ、どこに、向かえば。
迷っている間にも声が近付いている…一か八か。ガラリとドアを開くとベッドを囲むカーテンが開けっ放しで、そこには見慣れた人物が居た。
驚いて目を真ん丸にしている姿が可愛いなんて言ってもいられず私は彼へと声をかける。

「匿って!」

事情なんて説明していられない。要件のみを伝えると彼は私の手を引っ張って、…




「ダメツナここでサボりかー?」
「っえ、あ」
「まあいいや。お前押切見なかった?」
「こっ、此処には来てないよ」
「お前に聞いたのが間違いだった。じゃーなー」

嵐のような、怒涛の質問攻めの男女が3、4組早口で沢田に話しかけては消えていく。次の授業開始のチャイムが鳴り響いたところでタイムアウト。
廊下ががらんと静かになったことを確認して私はようやくホッと息をつきカーテンを開けた。


「いやあ、助かった。ありがと沢田」
「…今のって」
「熱心な部活勧誘。断ってるのにねえ、困った困った」

最近は無かった部活勧誘は、先輩方からのもの。どうやら教室からさっきの体育の授業の様子を見ていたらしく流石に運動場に出てきたときはびっくりした。
私はすっかり油断していたのだ。もうすぐこの学校では体育祭があるらしい。これを機に有望な下級生を手に入れようと躍起の先輩方の形相はそれはそれは恐ろしい。

よいしょ、と立ち上がる。
それにしても保健室にいたのが沢田で本当に助かった。確かに沢田の姿が見当たらないと思っていたけどまさかこんな所にいるなんて。
体操服の沢田はベッドの上で三角座りをしながらその膝に顔を埋めていて、泣いているのかと気まずくなったけれどそうではなかったみたい。顔を上げて私と目があった後は驚きの表情を浮かべだけど腕を引っ張ってベッドへ連れていってくれた後、カーテンを素早く閉め、代わりに沢田がその前に立ち皆の質問に答え、そしてどうにかやり過ごせたという訳だ。
今の行動の素早さときたらいつもののんびりな沢田らしくなく不覚にも格好いいと思ってしまった。


「そういえば沢田こそどうしたのこんなところで」

見たところ怪我も熱もなさそうだけど、ギシリとまたベッドの上に座る沢田は少しだけ元気が無いのは分かった。


「何か悩み事?ここの保健医って男は診ないって聞いたけど」
「今日はシャマル…先生は休みみたいで」

そういえば私は彼にまだ会ったことがない。
確か日常編ではそこまで活躍している訳ではなかったのは記憶しているけど保健医たるもの保健室に居なくてどうするんだか。会いたいわけではないけれどもし会えたらそれとなく桜クラ病について聞いてやろうかと思ったんだけど。


「そうなんだ」

久しぶりに沢田と話した気がする。
ゆっくりと話すのは最初の保健室の日と、2度目にこっちの世界にきた時だ。
恭弥の格好をした私のことは直ぐに気がついたというのにどういった訳だか彼の超直感なるものは私に対して働いていないらしい。不思議なことだ。
彼のその力は恐らく強くなっていく一方だし、それとも日が経つにつれて、私という人間が少しこの世界に馴染んできているのだろうか。


「…押切さんってすごいよね」
「そう?普通だとおもうけど」
「そんなことないよ。運動だって、勉強だって出来るしさ。…良いよなあ、俺、なんて」

言葉尻が段々と消えていく。
もうすぐある中間試験のことなのだろうか、それとも今日沢田が逃げた体育の実技試験の話をしているのだろうか。

世間ではまもなく新生活に慣れ始めた人達がいわゆる五月病を発症する、そんな時期。
私の世界では間もなく秋だったというのにこっちの世界ではこれから夏。
気分的に半年以上暑い季節を経験することになりそうで早くもげっそりしている。まあそれが唯一の憂鬱といえるぐらい学生生活を有意義に過ごしている私に落ち込む時期がくる訳もなく相変わらずのんびりとした日々を送っていたけれど、どうやら彼は違うようだ。

こんな日に限って彼の家庭教師であるリボーンが授業ボイコットの沢田を許したのだから何かあるに違いないけれど。


「人間、何でも向き不向きがあると思うよ」
「でも俺には」
「そりゃー私は沢田にとっては勉強も運動も出来ていいなって思ってくれてるかもしれないけど私は沢田の方が只者じゃないって思ってるんだけどね」

少しだけギクリとした様子が見えた。私は彼の学内での奇行を知らないことになっているから当然か。
2年にあがって彼が特別大きなことをしたという事は私は直接目にしていない。1年の時は色々とあったみたいで、それこそ見てみたかった気がするんだけどね。


「私はさ、許された人間じゃないからできる事は全部やろうかなって」
「…押切さん?」
「うん、訳分かんないよね。私もそう思うんだけど、やれる事はやっておきたいし出来る事なら目の前にあるものからは逃げたくない…ああ勧誘からは全力で逃げるけど。
でもほら、私にしか出来ないことっていずれ来るとおもうからさ。そこからは逃げ出さないようにしたいよね」

どんな運命が待ち受けているとしても。
口にしたことで覚悟は出来るかなと思ったけどそうでもない。知らないものは怖い。どうなるか分からないことが怖い。
でもそればっかり言ってちゃ、何も動けないことも知った。
そんな私の吐露に沢田も釣られるようにして口を開く。


「押切さん…俺さ」
「うん」
「…不安に押し潰されそうなときがある。俺が皆を本当に守れるか、なんて本当は俺、何の力もないのに。皆に頼ってばっかりの、ダメツナなのに」

――怖いんだ。
それは私の知らなかった沢田の心の底からの言葉で、息が詰まった。

そのまま、また最初みたいにベッドの上で三角座りをして視線を下げてしまうものだから私は沢田の横に腰を下ろし、彼の顔を両手で包みこむ。


「目を開けて。上を向いてごらん」
「…おし、き」
「皆の正義のヒーローになる必要はないんだよ。背負い込む必要もない。もっと簡単なことでいいんだ。
君の一言で笑顔になる人間がいる。君の行動で救われる人間がいる。学校に来るのが楽しいって思える人も、笑顔が増えた人もきっといる。絶対いるからさ」

彼に課せられたものは14の身にはあまりにも大きい。
それでも周りの組織は、家庭教師は、沢田を包み込むように、逃がさないようにただただ突き進む。少年漫画の主人公だ、苦しいかもしれない、辛いかもしれないけれどきっと最後はハッピーエンドで終えるに違いない。

だけど、その過程はどうだろうか。


「立ち止まっても、悩んでも、それでもいいんだ。立派な仲間も、素敵な家族もいるでしょう?沢田が一人で背負い込む必要はないんだよ」

私は少しの間の未来の事は知っている一読者であり、それでいてリボーンの世界に一番近くて、その割りに同じ舞台に立つことは許されてはいない。
そうであっても私は出来る事がある。
彼らの、竦んだ身体をそっと後押しするぐらいなら罰は当たらないだろう。

目尻にうっすらと溜まった涙が引いていくのを確認すると私はその頬に置いていた手をパッと離して笑みを作る。


「なーんてね、漫画の受け売りだけど良い言葉だと思って」
「あはは、押切さんらしい」
「…月並みな言葉だけどさ、頑張ってね…ツナ」
「ありがとう、、ちゃん」

私の言葉は、届いただろうか。もうあまり、知っていることもないからアドバイスも何も出来やしないけれど少しでも彼の心に届けばいい。
柔らかな髪をぽんぽんと叩くとポケットに入れっぱなしだった飴を取り出してツナに渡し「また後でね」と保健室を後にした。



なんだこれ、塩味の飴ってちゃんちょっと渋すぎない?!