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それは晩御飯の支度をしている最中だった。
カコンッとドアに備え付けられたポストに何かが入った音がして珍しく郵便かと思ったけどそもそも此処へ来てから広告一枚も入ったことはないことを思い出す。


「?」

珍しいものもあるもんだ。火を止めてドアの方へ向かうとバタバタと誰かが走っていくような音が聞こえた。
ポストに入っていたのは一通の封筒で、それを手に表裏を確認したけれどそれには宛先も送り主も書いてはおらず、糊付けもされてはいない。

もしかすると入れる家を間違えたのかもしれないな…なんて思いながら恭弥宛のラブレターなのかもしれないとまで考えてみたけど、流石に彼もこの家のことは誰にも教えていないと言っていたしもしこれが恭弥宛だったらストーカーの類だ。


「うーむ…」

広告やら手紙にしては何か、中身が固くしっかりしているような。
ペラリと少しだけ覗いたのはちょっとした好奇心で、そして中身を確認した私は驚愕に目を見開いた。


「…なに、これ」

入っていたのは写真だった。
慌てて開いて中身を取り出す。写真に写っているのは見慣れた人間2人。

そこに写っている、笑みを浮かべている私…と言っても押切としての姿だったから若干違和感はあるものの三つ編み眼鏡の女の子と、その隣には買い物の袋を持った黒髪の男の子、言うまでもなく恭弥だ。嬉しそうな表情の私と、心なしか恭弥も目を細め優しげな表情に見えないことも無く、どちらも一瞬誰かと思ってしまうほどで。

ディーノさんに買ってもらったあの紺色のワンピースは買い物に行ったあの日しか着ていないはずだから日にちを特定するのは簡単で、それを着ているということはつまり私が買い物帰りに恭弥に荷物を持ってもらった時のものだということを示していて。


「これ、は、…」

息が浅くなる。
知らない人からすれば何の変哲も無い、2人で写った写真だ。けれどもちろんそんな時に写真なんて撮った記憶はない。そもそもこの角度で私達が意図的に撮れるわけもなく、誰かに撮られていたに違いない。
他に何か入っていないのかと封筒を逆さまにするとヒラリと小さな白い紙が足元に落ちた。ゴミか何かと思いながらもそれを拾い上げると、


『バラされたくなければ今すぐ学校へこい』

走り書きで書かれているその内容に、ゾッとした。


そもそも誰宛のものなのだろうか。
バラされて困るものでも…いや、恭弥にとってはこういうのって迷惑な話だろう。なんてったって完全無欠の風紀委員長様だからだ。これで脅して何かをするつもりだったのだろうか。
――あ、いや、そうだ私だってこれを流されれば一応兄やら家族やらに話が回ってしまうのも不味いわけで。

どうしよう、困った。ぐるぐると考えが回る。
このまま放置しておくには危険だし、恭弥に話しておくべきなのか。携帯を初めて使うときが来たのかもしれない。彼は今頃まだ仕事かそれとも家だろうか…っていやいや何でもかんでも彼に任せるわけにもいかない。
しっかりして、私。甘えちゃ駄目だ。どうする。どうすべきだ。


「…」

さっきの人を追いかけるということも考えてノブに手をかけたけどここは学校の人達ばかりが住んでいるわけでもないし、ご近所迷惑になりかねない。
何も出来ない自分への情けなさと怒りにぐぐっとドアノブを持つ力がこもる。
…恭弥に不利な思いをさせるわけにはいかない。考えろ、考えるの私。大人でしょう。どうすればいいか、答えは出るはずだ。



――ぐにゃりとそのノブが歪んだのは一瞬だった。いや、もしかしたら実際は歪んではいなかったのかもしれないけれど少なくても私はそう感じた。
ドクン、ドクンと心臓の音が大きい。冷や汗が流れ、ゾクリゾクリと身体に寒気が走った。浮いているような、何か重量物が私に圧し掛かっているような、そんな奇妙な感覚。
それでもこれは初めて感じたものではないことも知っている。

…そしてその感覚の正体が一体何なのかすぐに分かってしまって、その名を、



「…”でざいなーずるーむ”」

躊躇うことなく呼び、掴んだノブを回す。

ギィ、と開く扉。
その先は恭弥の家の外ではなかった。暫く帰ってこれなかった、私のコスプレ衣装を作成するときに使う作業場”でざいなーずるーむ”が私を迎えていたのだった。


「…やっぱり」

驚きはなく、声に出した通り、やっぱりという言葉がしっくりとくる。
一瞬足を運ぶことを躊躇ったけど何故だか後ろから強く押されているようなそんな感覚に陥りながら部屋へと入ると後ろでドアが閉まる音がして、恐らくきっとそこを再び開けば私の知っている所じゃなくなっているんだろうなと何の確証もなくそう思った。


――始めから、”でざいなーずるーむ”はそういうところだった。
今まで私の世界とリボーンの世界を繋いだ不思議な場所。この場所は私が本当に求めている時に現れるのだと、この時初めて、理解した。私の世界に帰りたいときに出てくるような都合のいいものじゃない。本当に、心の底から、何かを思った時に。


初めて現れたのは保健室、恭弥に殺されると怯えたとき。
その次に現れたのは恭弥のあの家、これからどうなるのかと心の底から不安になったとき。
そして、今。


どうして、なんて言葉は不思議と出なかった。

何をすべきか分かっている。この部屋は私が悩みながらも何を求めているか分かっている。
私の怒りに反応した”でざいなーずるーむ”の真ん中、トルソーにかけられていたものはたしかに私の思い描いていたものだったのだから。



…負けられ、ない。