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私がコスプレを始めたのはいつだったのか、そんな細かいことは覚えていない。
ただ気がつけばずっとイベントへ行っていたし同じ趣味を持った友人と写真を撮ったりしている生活は少なくとも数年は続けていた。
誰も私の家へ、部屋へ呼んだことはなかったけれどきっと、この”でざいなーずるーむ”を覗けば異常なのかと言われてしまうかもしれないようなそんな自覚はあった。


「でざいなーずるーむなんて、よく言ったよねえ」

いつこんな名前をつけたのかも覚えてなかった。
そういえば部屋のドアにかけられた”でざいなーずるーむ”と書いてあるプレートは、この部屋のことを話したコスプレイヤーの友人がその名前を気に入ってくれて誕生日プレゼントとしてもらったことは覚えている。
木製のプレートに桃色の丸字で書かれたそれは右下に小さな白い花も描かれていてなかなか気に入っていて、この趣味を続ける限りドアにずっと取り付けているだろう。


私が普段生活の場にしている部屋よりも少し狭い設計になっているこの部屋は大きな姿見と、用途により使い分けられるような作業用ミシンが数台。
それとちょっとした休憩用にとソファが置いてあるだけで、まさにコスプレのために用意した空間だった。

部屋のクローゼットには今まで作ったり購入したり、はたまた気に入らなくて作り直したりしている衣装や型紙のような衣装関係のものが所狭しと並んである。
また、壁側にある棚にはここ数ヶ月以内で利用していたウィッグが十数個、ウィッグスタンドにたてかけてある。もうすぐイベントで出す予定のものや、セットの練習用にとスプレーでガチガチに固めてしまったりしているもの、そういったものが並べてある。妥協はなく1キャラにつき1個、またはアニメの配色が違ったりするからその時を考えると多いと3個も4個もある場合だってある。
さらに、化粧練習用にと買った鏡台の前には普段の化粧では使わないような色のアイシャドー、口紅、付け睫毛なんかが並べてある。

初めて入った人は、一緒に作業する人は、きっと何がどこにあるか戸惑うし、きっとこの揃い具合に本当に趣味だよね?と距離を取られてしまうかもしれないな。なんて思う。
当然収納も購入者も、私。どこに何があるかなんて昔のものであっても大体は覚えてある。目を瞑ったって探し出す自信はある。
それでも、今はそんな特技といってもいいのか分からないそれを披露することはなかった。


壁に並べてあるウィッグの中から一つを選び、無造作につかんで真ん中のテーブルに一式をそろえ姿見の前に立つ。
その時になって初めて、押切としての姿ではなく久々の”私”が顔を出していることに気付く。
といっても私から見る”私”はいつもと同じ訳で、特に変わったことといえば背が元に戻っているんだろうな、と思える視線の高さになったことと、髪の毛だ。


「…」

しゅるりと解くリボン、脱ぎ散らかしたスカート。その代わり身につけるのはトルソーに着せられていた黒のスラックス、ワイシャツ、…そして、私が作った、風紀委員の腕章。
服を着終わると今度はウィッグネットを被って多少の化粧。カラコンまで入れ終えるとウィッグを手にしてそれをゆっくりと撫で付けた。コレをつけるのはあの時の、初めてリボーンの世界に行った時以来だ。

ゆっくりと被り、自分の髪の毛が一筋たりとも出ていないことを確認すると、目の前の姿見に視線を送る。
鏡の前ではいかにも今からイベントへと向かう雲雀恭弥のコスプレをした私が映っている。顔が見た事無いぐらい青ざめていたことは確認できたけど、この際気付かないふりをした。


「これを、私は本当に望んだの、だろうか」

姿見を見ながら、自分へと問いかける。
このことに関しては少しだけ疑問にも思ったけれど、きっと”でざいなーずるーむ”はそれを読み取ったのに違いない。そうであるのならば私はあの世界で、やらなければならないことが、ある。

あの時と、初めてリボーンの世界へと旅立った時とほとんど変わらない格好で、でもあの時とは違う覚悟をもって、立ち上がる。
いつも小物を置いてある場所にはトンファーが見当たらないけど時間が惜しい。自分の姿を最後にもう一度チェックして…迷ったけど携帯だけ、スカートから取り出した。

私の携帯とは違い恭弥からもらった携帯は何故か圏外になってはいなかった。久々にカチカチと久しぶりの感覚になりながら文字を打ち込み送信ボタンを押すと胸ポケットへと入れる。


「…よし」

息をついたと同時に空間がぶるりと震えた気がした。まるで私の心を読み取ったかのように。
…きっとこれは、地震とかじゃなく、そして気のせいでもないんだろう。ああ私ってほんと、流されやすい性格というか、適応力ありすぎて、…


「だからこそ、この世界でやってこれたのかもしれないね」

きっとメイクをしなくたって、カラコンを入れなくたって、このウィッグは、この服は、”雲雀恭弥”であると私が設定した服を着てしまえば恭弥だと認識されるのだとこんな時になって理解した。
それでも私が敢えていつも通りイベント会場へ向かうように念入りにしたのは…それも、何となくわかっていたからかもしれない。


――これが、最後なんじゃないかと。
これで、私の今後が決まってしまうんじゃないかと。

戻るべき世界はどちらだ。なんて、理解してるんだよホント。
私は帰らなきゃ、ならない。帰って、…帰ったとしても私の世界で私がやることも、やらなきゃならない事なんて本当はないけど私の世界はここでは無いのに変わりないのだ。


だからこそ決別のために。

この世界に私という人間の居場所はないのだと再認識するために、最後のラインを。ケジメを。
私は押切という名前を与えられた、リボーンの世界に少しの間存在することを許された異質。それでいて原作に関わることの許されない異端者。舞台の裏側の人間が初めて壇上に上がる、その、意味は。


幕引き役のお出ましということだ。
私がいたことで起こってしまった出来事は、私が片付けるべきだ。



「…行ってきます」

―――ガチャリ。