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走って逃げる。そこの角を右に。左に。階段をかけあがる。
この先の渡り廊下を走りきれば職員室…は、少しだけ期待していたけど誰も居なかった。
一瞬その前だけタッタッと数歩分足踏みをしたものの居ないものは仕方ない。
じゃあ次はもう学外に逃げて警察にでも行ったほうがいい気もしてきたけどそこまで私の体力が持つのかが問題だ。
ちなみに学校内の構造は結構知っているけれど、一歩学外に出れば家とスーパーの行き方ぐらいしか私は覚えていない。


「どこへ、行けば…っ」

確かに私がこの世界へやってきてから数ヶ月、体育会系部活の熱狂的な勧誘から逃げるために走り回ったりリボーンの世界だわーいなんて探検していたおかげで場所の把握はほとんど完璧だ。
ここがリング戦で使った場所なんだね、とかある意味聖地巡りにも近しい。それであっても今、完全にネタ切れ状態だ。体育館もここからじゃ遠い上にあそこは逃げ場は、ない。

後ろから男の子たちが追いかけてきていた。そういえばさっきから私が追いつかれないのは彼らの持つ武器の大きさの所為もあるんじゃないかと思えてくる。
この薄暗さの中よく分からないけどさっきのバットを持ってる人もいれば何だか物騒そうなものがキラリと見えている人も居る。どこからそれ調達したんだホント。


「そこだー!」
「挟み込め!」

また走らなきゃ、とそう思って走ろうとする先を見て私は瞠目した。
…まずい。
足が止まった。後ろから走っている音が聞こえ、右からも、左からも音が聞こえる。そして、…気がつけば目の前にある応接室には仄かな光。そういえば今日は夜に来るかもしれないなんて携帯に連絡があったっけ。
そうだ、私、そのためにここへ来てやけに作る頻度が高くなったハンバーグを焼いていた途中だったんだ。


「(…いるのかもしれない)」

―――困るでしょう”でざいなーずるーむ”。
目の前にある応接室に恭弥がいるのかもしれないと思ったのと同時に、心の中でそう呼びかけた。はたして話しかけたソレに自我があるかなんて定かじゃない。

だけど根拠もないのに不思議と自分の考えには自信がある。
今、目の前にあるこの事態は誰かによって引き起こされた、ある意味試練か…はたまた罰のようなものに近いのだろうと。恭弥の姿へと強制的に変更させるべく”でざいなーずるーむ”へと私を連れていったのは私の怒りに反応したせいだけじゃない。そんなにこの世界、私には甘くない。
そんな最中でもしも誰かに頼ることなんてそんなことをこの捻くれた世界が許すだろうか、なんて思える程度に私の思考もまた、捻くれていた。でもこれ以上、ここへ駆け込む以外方法が無いところまで追い込まれているのは確かで。

…賭けにでるべきか。

それは短い時間だった。
男の子たちが近付いてくる間に私の思考は驚く程冷静に、それでいて出来るだけ自分がぬか喜びな結果にならないよう思考を巡らせていた。


『桜クラ病。』
例の件、原作にあったシーンと私が関わる機会に合わないよう”もしも”誰かが突然の事故を起こしていたのならば。私を妨害をする何かが”もしも”存在し、それが今も私のことを見ているのであれば。
今、恭弥の姿をした私が応接室にいるかもしれない本物の彼と鉢合わせするのがマズいのであれば。
ならば、何かが動くはず。何かが、起きるはず。


「っ動いてもらうわよ…”でざいなーずるーむ”!」

それはもはや、とんでもなく無茶なクレームに近い。要は「私を不利にしたいのであればどうにかしろ」といっているようなもので。
一瞬のノブを握る力を込め、先を見ず転がり込んだ。
その瞬間にぐにゃりと何かが歪んだような気がしたけど足は決して止めない。


「ぁ痛っ!」

転がった先は、応接室の冷たい床ではなくコンクリートだった。
受身の体勢をとったというのにお腹からぶつかった衝撃で一瞬息が詰まる。ドクドクドクと心臓がうるさい。ハァッハァッと自分の呼吸音がうるさい。
ゆっくりと身体を反転させると視界には満天の星空が広がっていた。


「…ハハ、」

やった。やってしまった。
力なく震える口が漏らしたのは、これまた情けなく震えた笑い声。
応接室の先が屋上だったという話は聞いたことがない。つまるところ、ますます異質である力を出せてしまったということ。

何かあればあの部屋を通じ、何処かへと移動させられていたというのに今”でざいなーずるーむ”を吹っ飛ばして応接室のドアから屋上に続くドアへと移動。
”でざいなーずるーむ”に話しかけ、煽り、近い距離とは言えこの世界の人であれば出来ないことをやり遂げてしまった。
ただのコスプレ女というわけではなくなってしまった。自分のことながら自分が恐ろしいと思ったのは、初めてかもしれない。
それでも立ち止まっている暇はない。ゆっくりと地面に手をつき、起き上がろうとして、


「手こずらせやがって」

バチンッという突然の音、光、背中の痛み、そして…男の声。
しまった、ここにも居たのか。油断したときこそ相手の勝機だなんてさっき自分が思っていたというのにこれは痛恨のミスだ。


「つーかこいつ今、どこから…」

私の意志とは裏腹に閉じていく瞼。徐々に聞こえなくなるガヤガヤとしていた声。
月が綺麗だなぁ、なんてそんな場違いなことを思いながら身体が重くなっていく。

…あーこれもしかしてゲームオーバー?



バンッ!

「もう逃げられねーぞ覚悟しろ雲雀!」

追い詰めた。
やけに素早い動きで人の攻撃を避けたと思えば鋭い眼光で自分たちを脅かしてたまに小さな、けれどその場を動かすには確実な反撃をし、それでいて何故か逃げてばかりの雲雀恭弥なんて聞いたこともなかったがこれなら勝てる。
そう信じていたからこそ、応接室に…彼の住処であるそこへ逃げ込んだ。何か訳の分からないことを叫びながら入っていたがきっと自分たちに恐れを成して口走ったに違いないとそう信じ。

雲雀恭弥をやれば、この部屋はどうせ自分たちのものになるのだ。
此方は10人。全員が人を傷付けるために必要なモノを持っている。これで終わりだと、思ったというのに。


―――そこにいたのは椅子に座り書類に目を通している雲雀の姿で。


この、違和感は一体なんだ。
先頭で走っていた男は何もされてはいないはずなのにツツツ、と冷や汗が流れた。
何故さっきまで逃げ、走っていたはずの彼がこうも優雅に座っているのだ。さっきの人間と本当に同一人物なのか?と思わずにはいられないこのひんやりとした雰囲気は一体。

混乱する男達は、それでもやるしかないということは知っている。
何故ならば彼は自分たちを見たと同時に「ワオ」と楽しげに目を細め喉を鳴らしながら、どこからか彼らの恐れる武器を出してきたからだ。


「ヒィっ、てめえここにトンファーを用意してたのか!」
「…さっきから何を言っているのか分からないな」

まあ、そんなことはどうでもいいんだ。
静かに立ち上がり、ゆっくりとトンファーを構える雲雀に対し男達は身じろぎ、そしてかつて攻撃を受けて病院送りにされていたあの日の事を思い出しながら、


「わざわざ風紀を乱しに来たみたいだね、君達。…よっぽど死にたいらしい」

死の宣告を聞いたのだった。