獄寺隼人の焦燥

夏が近付いて来ている。

平穏な生活というものはイタリアから日本に渡ってからというもの、あまり無かったような気がする。
10代目の前でゆっくりとパンを咀嚼しながらオレはそんなことを考えていた。別に毎日ダイナマイトを投げ飛ばす生活をしたいわけじゃなく、そんなモンの為に日本に来たわけじゃなかった。
忠誠を捧げると決めた10代目が静かな生活を望んであるのであればそれが続くことが一番なのだと思っている。ここはイタリアではなく、平和な日本だ。いずれイタリアへ渡りボンゴレの10代目を継がれるとあっても、それまでは。


それでもオレの記憶に残る不思議な事件が起こってしまった。
どうやら夜の並盛中学校に不審者が現れたらしい。朝の朝礼で全校生徒に向けられて報告がされたがもちろんオレがそんな行事に参加してるワケもなく10代目に教えてもらった。もし何か無くなっていたり、逆に変なモンが残されていたらすぐに報告する事、らしい。結構校内を荒らされたらしく、風紀委員が全て片付けたみてーだが間違えて他の生徒の持ち物なんかを入れてしまってる可能性も無くはねーしそれで生徒同士の中で盗難騒ぎになるのを防ぐため、だそうだ。あんな荒くれ連中にしては結構気が利いてるじゃねーかと思う反面、そこまで荒らされたんならヒバリが黙っておかなかっただろうなっていうのもすぐに思って不審者を哀れんだ。


2−Aは不幸にも事件の場になっていた。
教室の一番後ろ、廊下側から2番目。日本じゃ名前の順で最初は並ぶらしくオレの席はそこに決まっていた。文句でも言ってやろうかと思っていたが10代目とも運良く近かったし問題はなかった。
不幸中の幸いか、10代目に被害はなかった。ただオレの机には何故か知らないノートが入れられていた。
だらしねえ、風紀委員つっても結構ミスしてんじゃねーか。どうせクラスの人間の名前なんて覚えてもなかったが一応念の為と名前欄を見ると何故か書かれていなかった。ノートを何気なく開けばそれは授業で使うものではなく、地図をコピーされた用紙が何枚も挟まっていた。ところどころにシールが貼られたそれは宝の地図を彷彿とさせたが残念ながら並盛の地図に違いなかった。何だコレ。


『あ、変わったことがあったら応接室に…らしいんだけど…』

めんどくさくて投げ捨てちまおうかと考えていたのに優しく真面目な10代目が顔を青ざめながら「オレも一緒に行こうか?」なんて提案もしていただいたので嫌々ながら応接室へと向かいさっさとヒバリに渡す。
何か聞きたそうだったがオレが思っていたよりも被害は大きかったらしく色んな人間が並んでいたおかげで無駄な戦闘は行われずに済み、10代目の待つ屋上へとすぐに戻ることが出来た。



そういえば屋上のフェンスが一部崩壊したらしい。前々からギイギイ鳴ってて気になっていたところだし丁度良かった。落下防止にと仰々しい看板が置かれ流石にそこの近くには誰も寄ってはいなかった。
まあでもそこから見える景色つったらフェンスが無い分結構見晴らしは良い。


「桜も散りましたね」

10代目と昼食をとっている最中、ふとそこから見えた景色に対し何気なく呟くと10代目はキョトンとした顔をしながらオレを見返した。


「あれ、獄寺くん、桜好きなの?」
「誰かが前に好きって言ってた気がするんスけど…だれ、だったかな…」

オレみたいな人間に怖がらず話しかけてくる奴なんて滅多にいない。
うーんと頭を捻らすも誰も思い浮かびやしなかった。きっと気の所為か、それともそこまでの仲では無かったのだろう。イタリアに居た時につるんでいた連中かと思ったがあっちでもそんな頻繁に見られるものじゃねえし。
そして単身でやって来たこの日本においては目の前の10代目と、後は決して認めてはいないがリボーンさんによって引き入れられたファミリーの面々がいるだけで、オレには他の知り合いという人間は居なかった。それで問題はなかったし、今後もきっとそうだろう。

それでも。
10代目には決して言えなかったが、身を、心をギリリと刺されたような痛みが連日オレを襲っていた。
身体に何の不調もないが、何か、足りないような。何か、忘れているような。でも伸ばしても掴めない、何かが。
そんな気がしてならないのだがこれを誰かに言うべきものではないことも同時に理解していた。自分で分からないことを他人に言っても何も解決しねえし、何より10代目に心配とお手間をかけさせるわけにはいかねえ。

唸りながらフェンスへと背を預けると丁度そこに心地よい風が吹く。
もう、目の前には夏がやってきている。


――あの時の風とはえらい違いだな。

そう、考えてしまってからあの時とはいつの時のことなのかと自問自答した。あの時ってのは、何だ。何故そう考えてしまったんだ。


「(そうだ、そういえば…)」

あの時は誰かと一緒にいた、ような気がする。そこで、今のとは違う優しい風を感じたような。
…その誰かって?


『来年はさ、満開の桜を見れたらいいね』

――確か、悲しげな目をしたヤツだった気がする。そうだ、あれは公園だった。
…いや待てよ、オレはいつ公園へ行ったんだっけ。10代目と別々に行動する事なんてここ最近はなかったっていうのに。一生懸命記憶の糸を潜ってもそこで途絶える。誰だ、あいつは。誰だ、あの女は、……


『…ありがとう』

あの、黒い髪の「獄寺くん?」


10代目の声にハッとして見返すと間もなく昼休憩も終わりの時間になっていた。
何かを思い出しそうなそんな気がしたが、それ以上に何故だか心臓がバクバクと高鳴っている。何だったんだ、今の。


『そう、君もおぼえていないんだね』

応接室に行ったときに掛けられた、ヒバリの声が何故か脳裏に浮かんだ。オレは何を忘れているってんだ。オレは何も忘れちゃいねえ。重要なことだったら特にだ。
10代目がそんなオレを見て不思議そうに首をかしげたが「そういえば」と言葉を続ける。


「山本が今度の休みに野球の試合があるらしくて見に来て欲しいって言ってたんだけど獄寺くん、興味無いかな?」
「!山本の馬鹿には興味無いっすけど10代目がいらっしゃるのでしたら!」

滅多とない10代目からの誘いに喜んで頷き、オレはこのモヤつきをかなぐり捨てるように残りの焼きそばパンを頬張る。
空になった袋を潰しながらゴミ箱へと投げ捨て、やがて10代目との約束で頭がいっぱいになり生まれたモヤつきは平穏の向こうへと消え去っていった。

ぐしゃり。