09

いやーでも喉元過ぎれば熱さも忘れるわけで。
どうせ夢だったんなら雲雀にも会っておくべきだったかなあ、なんて思えるぐらい余裕を取り戻していた。本当楽観的な性格をしていると我ながら思う。

ちゃぷんちゃぷんと揺れる湯を見てホッと息をついた。お風呂は命の洗濯だなんてミサトさんは本当に上手いこと言っていると思うの。ああ、落ち着く。


「幸せ…」

お湯に浸かりながらでググッと身体を伸ばした。
イベント前で食事制限もしているし、体にいいことは全部やってしまって万全のコンディションで迎えたい。
顔や足の浮腫みだって嫌だし、前日に衣装の仕立て直しで徹夜明けに行ったイベントのときなんてクマが酷くてコンシーラーの上乗せの上乗せになった時のあの悲しみなんて計り知れない。

長風呂にさっきまでの事なんてすっ飛んで、鼻歌まで歌ってしまう。
ああそうだ今度のイベントでは皆で合わせる予定だったしどんな構図で撮ろうかとかまだ決まってなかった。また今夜あたりに連絡しないとなあ。


「…あ」

そういえばシャンプーがもうすぐ切れてしまうから洗面台のところに出していたんだっけ。
1プッシュでシャコンッと空押しになってしまったら流石に全然足りず、このままこの量で済ませるか悩んだけど明日になったら忘れそうだし今のうちに補充する事に決めた。

床を濡らしたくないし寒いから出たくないけど仕方が無い。
よしっと掛声とともに風呂のドアに手をやって、


―――ガラリ。


「おやおや」

確認しよう。私は一人暮らしだ。
男性と一緒に暮らした覚えもなければ、ラッキースケベなシチュエーションに陥るワケが、ない。

住居侵入罪。
ニュースで見ているようなそんな犯罪名が頭の中に浮かぶ。
お風呂場のドアを開けたらそこは洗面台であるべきだ。…のはずだと言うのに扉の向こうは何故か真っ暗で奥行きがあって。

目の前に知らない男の人が立っていて。
私は、素っ裸で。


「君はど」
「ッ!」

―――ガラリ。
男が何か話している最中だったけれど反射的に閉めて、そのまま自分の身体を押し付けながら簡易な内側からかけられる鍵を閉めた。


「(ど、どうして…今、何が…っ)」

声が出ない。
あまりの事にへなへなと座りこみ、ひんやりと冷たいタイルがお尻に当たる。
今の人も服を着ていなかった気もしないでもないけれどどういうことなの。ここ、私の家だよね?あの人どうしてあんな余裕そうな顔していたの。

20も超えて学校でコスプレ姿を晒した夢を見たどころか、今度は人の前で素っ裸を晒すという痴女の汚名まで着せられちゃうの?え、これって夢?

風呂場に携帯なんかは持ち込むこともなく、私は浴槽で装備は風呂桶一つ。彼は外。
攻撃力がきっと10ぐらいは上がるんじゃないかと自分を励ましつつ目を凝らしてもドアの向こうに人の影が見当たらない。


「やるしか、ない」

間違いないのよ。ここは私の家だ。私は悪く、ない。

ゆっくり数えて30秒。
恐々とドアを開くとそこにはさっきの素っ裸の男の人も、真っ暗な部屋もなく洗面台があって、その前には私のお迎えを待ったシャンプーの替えがあるのみで。


「お、おかあさあん」

一人暮らしを開始して数年。
私は、初めて遠くの地に住む母親にヘルプを求めた。



「…今のは一体」
「骸さんどうしました?」
「嗚呼、犬。ここ、何に見えます?」
「いつもの風呂れすけど…あ、でもすげーいい匂いがするぴょん。骸さんシャンプー変えました?」