19


『お前、なんで生きてんの』

足に圧迫感を感じて目を開けた。
さっきまで見たのは夢だったのかと思ってしまうほど視界いっぱいに広がる青空は雄大で、それでも燻った炎の匂いにあれは夢ではなかったと嘲笑われて。

寝転がっていてあまり感覚はないのだけれど自分の親指に、昨夜ランチアによって渡された父さんの指輪が嵌められてあるのは何となくわかった。きっと父さんも、母さんもいなくなってしまった。(母さんの指輪は諦めた。だってどこにいっても皆の死体があるのだもの、動かなくなった彼らの中で母さんを探すのは至難の業だ)
あの屋敷は見事全壊で、何も無い。漠然とそう分かっているのに不思議と涙も出ない。


『…』
『あーあ。折角貰った薬の効果をここにいる奴らで試そうと思ったのにさー』

薄ぼんやりと視界の端に見えるのは、全身が真っ黒の男の子だった。足にある違和感は、この人が私の足首を思いっきり踏みつけているからだった。
この人は、あの人達の知り合いなのだろうか。それなら私は、昨日の夜のことをすべて伝えなければならない。そう思っているのに、昨日のことはまるで何年も前みたいな感覚で記憶が何となく曖昧だ。

「お前、日本人?この言葉わかる?」
「わかり、‥ます‥‥」
「あー良かった。オレ日本好きだからさぁ」
「あの、ここの人たちは」
「っしし、別にいいよ。どうせ王子もこいつら殺しに来た訳だし」

ここにいた皆とは全然違う雰囲気で、どちらかというと少しだけ、おとぎ話や映画に出てくるような王子様みたいな人はその綺麗な顔でそう言った。
話している内容は物騒だったけれど、もうこの王子の目的の人はランチアに殺されてしまったのだ。

――ランチアだけだったかしら。
昨日、彼に薔薇の花を貰ってからの記憶を思い起こそうと思っているのに、次の瞬間には彼が私に差し出した指輪のことしか分からない。今ごろあのホテルにおいてある花は全て萎びてしまっているのかしら。母さんが帰ってきたら綺麗に活けてもらおうとおもっていたのに残念ね

黙って昨日のことを考えていると、金色の綺麗な髪の毛をさらりと流して王子は私に向かって白い固形物を差し出した。

「まあいいや。お前、死にたそうな顔してるしこれ飲んでくんね?」

そんな表情をしてるのかしら。鏡もないし自分の顔を確認することは出来ないけれど、それを飲めば楽になれたりするのかしら。
知らない人からものを受け取っちゃダメよなんて言われていたけれど、今はそんなこともよく分からなくて。
こんな、日本から離れたこの場所で親も居なくなって。帰る場所もなければ生きる場所も想像付かなくて。それならば、

「これは、死ねる薬?」
「さあ。まあもし万が一生き残ってしまったらオレがどうにかしてやるよ」
「…」

否定もしないのか。苦いのは嫌だなあ、なんてすっとぼけた事を考えながらその人から白い個体を受け取った。
無臭のそれは、何故だか少し禍々しくて。
ああでもこれを飲んだらもしかしたら本当にすぐ死ねたりして。そうしたら私はこれ以上苦しむことなく皆の元へいけたりして。
そう考えると不思議とこの錠剤は私を幸せにしてくれるものだと思えてきて。


咀嚼。嚥下。


「っぐ、」

喉元を通った瞬間から体に異変は起きた。

―――熱い。

心臓が突然早鳴りになり、その鼓動の音が頭に響く。バキバキと何かの音がするし、体温もまるで高熱になったかのように体の震えも止まらない。ぬるりと感覚がして、拭うと鼻血だって流れていた。

「あー良い色」

いつの間にか私から距離をとった王子様は、楽しそうに笑いながらも手前にナイフを構えていて。
私はダーツの的みたいに当てられて刺殺されてしまうのだろうかと冷静に考えた。何メートルも離れているのに私は彼の手元のナイフが5本鈍色に光っているのも、彼が薄い呼吸をしながらどこを狙おうかと思案している表情も、その手元にナイフじゃない何かがキラリと光っているのも見える。まるで、視力がとても良くなったみたいに。

「第1はクリア、と」

投げられる。けれど、スローモーションになっているみたいにその速度は遅く。
5本投げられたうちの、4本は何のこともなく避け、心臓をめがけて飛んできたものは柄の部分を握って止めた。
ミシリ、と鳴る柄。まるでビスケットを割るようなそんな弱い力でナイフの柄は粉砕し、包まれていたナイフをそのまま握ることになり、手からはボトボトと血が流れる。
嗚呼、血って赤い。

「…へぇ。お前面白いじゃん」
「ごめんなさい、これ、壊しちゃった」
「いいよ、面白いことなら歓迎するし」
「…」
「…お前、もうこっちの世界に未練は?」
「皆居なくなっちゃった」
「そっかそっか。じゃあとりあえず連れていくけど」

首元に衝撃が走ったのは次の瞬間だった。世界が揺れる。
何かのドラマで首を殴って人を誘拐するシーンがあるけれどあれって本当なんだなあって、地面が視界いっぱいに広がるのを感じながら私は悠長に思った。



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