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気が付けば綺麗な湖の前にいた。

太陽の光が、そして柔らかな風が水面を凪ぐ。あまりにも広大な自然に瞠目した。
自分の意思もしっかりあったし五感もしっかり機能していたけれど、ああここは夢なんだわと何故か直ぐに理解出来た。
たまにはこういうのも悪くない。草木に寝そべるとさっきまでの不安はどこへやら。

――チリン。


「おや、まさかこんな所で会えるとは」
「…え」

触ったわけでもない鈴の音が鳴ったと思ったらいきなり人の気配がして目を開くと私のことを誰かが見下ろしていて、それが予想外の人だったもので言葉が出なかった。
どうして、貴方が此処に。
口元に僅かながら笑みを浮かべた、穏やかな表情の骸さんがそこに居てたっぷり数秒、彼の顔を見つめた。


『その鈴の持ち主もさぞ面倒臭い感情を君に抱いているだろうね』

マーモンの言葉が脳裏に過ぎる。
寝る前に骸さんのことを少し思い出していたから、だから現れたのかしら。それにしてもかなり精巧な夢みたいで私はここまで骸さんの事を見ていたのかと不思議になる。

「…本当に夢?」
「夢ですよ。ただ此処は、僕の作り出した場ですがね」

つまりはここは夢だけど、私の目の前にいる骸さんは彼の意思で動く本物ということか。
幻術使いって何でもできるのね。それとも骸さんのお得意分野なのかしら。マーモンにはこういったことをされた事もないから分からないけれど今度帰ってきたら聞いてみよう。

隣に座っても?という質問に頷きながら、彼の姿を久々に見た気がした。
いつもの制服じゃなくて、白のワイシャツに黒のスラックス姿の格好は元々大人びた人だとは思っていたけど更に大人っぽく見せていて。私の周りには居ないタイプだわ。

こちらを見ていないのをいい事に私は骸さんの横顔を寝転がりながらじっくりと見た。
色の白い肌も、高い鼻も、優しげな目も、それから色の違う目も、なんと言うかとにかく綺麗で。
随分彼の事を見るのが久々な気もしたけどそんな事はなかった。ただ、長い夢と朝からのハードな手合わせの所為ね。

「…私に、何か用事でも?」
「ただに会いたかった、じゃ駄目ですか」
「人を喜ばせる言葉には長けているのは相変わらずね」

私の周りには居ないタイプよ。だってヴァリアーの皆なんて思ったことは全部喋っちゃうし行動するし、彼のように何を考えてるのかわからないような人、1人もいないんだもの。ああ、マーモンは別か。
他意は無いんですけどねぇと微笑む骸さんは相変わらずだ。

「そう言えば、言いそびれてたんだけど」
「はい」
「用事があってイタリアに帰ってるんだけど別に逃げ帰った訳じゃないからね」
「…それはそれは」

くすりと笑う骸さんを見て変わりないなあと思う。彼の表情ってこれ以外に変わることなんてあるのかしら。
思い返せば今の私の状態じゃ彼に勝てないのを悔しがってイタリアに帰ったみたいに見えないこともない。言い訳じゃない。今度こそは勝ってみせる。
否、千種君がちゃんと言ってくれていたのならば私がそういった理由じゃないことぐらい伝わっているのだろうけれど。

「もうすぐ帰るから、首を洗って待ってなさいね」
「君の直ぐは、いつになるのやら」
「ほんと、口は達者なことで」

こんな、穏やかに話すのはいつぶりだろう。
学生生活は案外充実していて、勿論イタリアに戻ってまだ1日しか経っていないっていうのにもう懐かしく感じてしまう辺り結構気に入ってたんだわと今更ながら思う。

例の幻術の件はあまり気にはならなくなっていた。全てはいずれ、ランチアとまた話すことが出来ればわかることだもの。

「そういえばこんな時間に寝ているだなんて仕事か何かですか?」
「ううん、何もしてないんだけど朝からちょっと疲れちゃって」
「クフフ。また会いにきても?」
「ええ、いつでもどうぞ。夢の中ならね」

まさか彼が実体でイタリアの此処に来れる手段なんてないだろうと思いながら是の言葉を返すと、骸さんが心なしか優しく微笑んだ気がした。
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