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思いっきり拳で殴ったら色々スッキリしちゃった。

今度こそ真っ赤に腫れ上がったスクアーロの頬はイタリアに帰るまで治りはしないでしょう。精々ボスに笑われたらいいんだわ。びっくりしたんだから私は悪くなんか無いもの。

日本につけばもう辺りも暗くなる時間で、こんな時にスクアーロの大きな声で近所迷惑になるのも勘弁だったから近くで降ろしてもらった。数日ぶりの黒曜町をゆっくりと歩きながら、ふと真人くんの家の前で立ち止まる。彼の家は私の家の近所。引越しなんてしないのだから此処にあるのは当たり前ね。
学校で手渡すのも何だし胸ポケットから1枚、用意していたものを取り出してそれを彼の家のポストに投函するとそのまま自分の家へと向かった。

「…タイミング悪いわねえ」

家の前ではスーツ姿の男がまさにイヤホンを鳴らすところだった。営業か何かかしら?面倒くさいったらありゃしない。こんな時間に、真っ暗な家に何の用だろう。

眉を顰めながら私は後ろ手に箱を隠して彼に近付いた。どうせこんな暗いところだもの、箱なんて見えないに違いないけれど。

「こんばんは!家に何か用ですか?」
「っわあ!びっくりした!」
「お母さんは今日仕事で夜遅くまで帰ってこないんですけど」

営業スマイルなら負けてられない。
どうせ親がいないって分かったらすぐに帰るでしょう。そんな事を考えながらにんまりと笑顔で近付くと男の人は私のことを不思議そうに見た後、あっと声をあげた。

ちゃん!君ちゃんかい?」
「…どなたですか?」
「覚えていないのも無理は無いか。僕は先生のとこの助手なんだけど」

――ドクン。

大きく鼓動が跳ね上がったのがわかった。突然知らない人に私の名前を知られていたことには少しだけ警戒したけれど、その次に彼が話した内容は決断力を著しく鈍らせた。

「…父さんの?」
「うん。たまたま近くを通りかかってね。挨拶に来たんだけどそういえばもうこんな遅い時間だし失礼かなあって…はは、ごめんね不審者みたいで」

この人は一体何を話しているの。
そんなまさか、という否定の言葉ともしかして、という期待が綯い交ざりとても変な顔をしているにちがいない。

「そういえば最近、お母さん見かけないけど元気にしてるのかな?前は毎日来て先生の隣にいたんだけど。あ、もうやっぱり前々から言ってた専業主婦とか?」
「…何を、言っているのかさっぱりわからないんですが」
「いやあ、僕この前大学を卒業してバイトじゃなくて医院に就職になってさ。今は先生のお使いの帰りなんだけど、ちゃんやちゃんのお母さんにも挨拶しようかなって。勿論先生には言ってないから内緒なんだけど」

―――いや、でもそんなはずは。
後ろ手に持った箱を握りしめる。父さんはあの日を境に消えてしまったのだから。イタリアの、あの場所から。ランチア達のいた、あの屋敷から。そのはずなのにこの日本の、また今まで通り病院で働いているわけがない。

はい、と私に手渡すのは近くにある洋菓子屋の店名が大きく書かれた箱入りの袋。
父さんがよく買ってきてくれた洋菓子屋はまだ根強い人気があって今でもある。よく何かあるたびに父さんは私のためにチョコレートケーキを、母さんにはショートケーキを買ってきてくれたっけ、なんて思い出した。

受け取らないのも不審がられるかと少しお行儀が悪いけれど宝石箱を変わらず背に片手で持ち、目の前の彼から片手でその袋を受け取ると嬉しそうに微笑まれる。


…そうだ、私この人をどこかで。
日本で知り合いなんて今はもう真人くんしかいない今、それは有り得ないはずなのに。


私は弾かれたように、顔をあげて彼に疑問をぶつけた。


「父さん、今病院にいるんですか?」

助手と名乗った彼は私の質問の意味が一瞬分からなかったのか一度首を傾げた後、誠実そうに微笑んでそれの答えに是と答えた。
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