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「ああ、。僕の指輪を持ってきてくれたのかい」 「はい、お父さん」 不思議なことに我に返ったきっかけは自分が声を出したからだった。脳に響く自分の、でも私が意識して出したものではない声。さっきと同じだ。身体が勝手に動いている。 目の前には5年前の記憶そのままの父さんの姿があった。家から出た記憶はまったくないというのに、ここは間違いなく医院だとわかる。医院の地下にある父さんの書斎だ。 人の気配は目の前の父さんと、どこからか視線を複数感じた。…それも決して一般人が出せるようなものではない強い敵意のあるそれは間違いなく私に向けられていた。 「…いい子だ」 そうだ、私ケーキを食べてから倒れて、それで…それから? いつの間にかマーモンからもらった箱から指輪を取り出していて、それを父さんに渡しているという状態だった。 相変わらず私の身体だというのに私じゃないみたいな、寧ろ映像を見ているかのように私の意志ではない動きをする。それを見ている事だけが今、私ができること。 今さっき父さんとやりとりをした声も、瞬きも、私の意志ではない。 父さんはソファに座っていたけれど突然私の顔をじっと見て、私の記憶の通りの笑みを浮かべた。 「…ああ、起きたのか。通りで先程から動きが少し鈍いと思っていたんだ」 パチン。 父さんの指を鳴らす合図一つで私の身体の感覚は一気に戻ってきて床に崩れ落ちた。突然の痛みが私の身体を襲う。ケーキを食べたあとに感じた痛みが一気に戻ってきているのだと分かった。 「っは、ぁ」 身体が震え、再び酸素を確保しながら床に方頬をつけて父さんの足元を見ているとソファから降り私の近くで膝をつく。 父さん、と声をかける前にグイッと強い力で後ろ髪をつかまれ無理やり上を向かされ呼吸が更に困難になった。視界が、父さんの顔でいっぱいになる。会いたくて、仕方なかった人だ。 「…っ!」 「久しいね、。5年ぶりかな」 「と、うさ」 息苦しさに視界が涙でじんわりと滲む。目の前の人は本当に父さん?五年前から姿が変わらず? それとも彼は幻術なのだろうか。骸さんみたいな術士が私の近くにいたというのだろうか。そんなばかな。 ――違う、違う違う違う! 目の前の父さんは5年ぶりの父さんのはずで。そうだ、父さんに報告したバイトの人が持ってきたケーキの所為でこうなってしまったのならば彼が一番怪しいはずで。 それでも危険を知らせる頭の中で響く警鐘は鳴り止まない。むしろ父さんとこうやって話している最中にもそれは段々と強くなってきて。違う。父さんは、父さんだけは…っ 私の祈りに近いそれは誰にも伝わらない。 私の髪を荒々しく掴む父さんの、空いた方の手を見ると左手の薬指にはさっき渡した指輪が嵌められていて、それがぐにゃりと歪み黒いモヤのようなものを出しているのに気付く。 縋るように父さんの顔を見ると、父さんは相変わらず私の知っている笑みを浮かべ続け。 「うん。感動の親子の対面もゆっくりしたいんだけど、その前に見て欲しいものと、聞いて欲しいものがあるんだけど、いいかな?」 あの時と、全く変わらない様子で父さんは告げ、そして 「……いや…」 父さんと目があった瞬間、頭の中を膨大な量の映像が流れ始めた。 どこかの白い部屋。 壁に並ぶたくさんの試験薬。血で染まった白衣。椅子に固定された子供に飲まされる白い錠剤。次の瞬間血を吐いて息を引き取る子供。用済みの死体はすぐに違う場所へと運ばれ怯えた表情を浮かべた子供がその椅子に座らせられ錠剤を。延々と繰り返される単純作業。増える薬と減る子供。大きくなる笑い声と消え行く救いを求める声。 部屋の隅にはたくさんの子供、たくさんの血、首、顔、―――怒りと憎しみに塗れた目。死を間もなく迎えるぎょろりとした目が、いやだ、血にまみれた手が、何で私達ばっかり、私を、助けて、私を、死にたくない、私をっ! ドクン。 『――――残念です』 幼い声が聞こえ、ランチアとの一件があったあの見慣れた場所へと映像は切り替わり。燃え盛る屋敷を背景に、眼帯をした少年が私に向かって三叉槍を向けて、 あれは、あのひとは、…? 「いやぁぁあああっ!!!!」 カクン、と彼女の身体から力が抜けたのはすぐのことだった。彼の後ろに控えていた助手――の姿をしていた男は思わず彼へと声をかける。 「…コンラード。流石に一気は精神が」 「いや、いいさ。教育には恐怖がつきものだろ?」 「…」 恐らく見せた映像は自分たちのやって来た事のほんの一部のものと、それから自身が忘れていた記憶を読み起こしたのだろう。 あの日の記憶が欠損しているということは分かっていたのだから。策の一環とは言え残酷すぎると思いつつも助手の口元には笑みが浮かんでいた。 悲鳴をあげたままぱったりと意識を飛ばしたに対して助手だった男よりコンラードと呼ばれた男は楽しげにパチンと合図を鳴らす。 ――それは、始まりの音。 「さあ、。おはよう」 「……おはようございます、お父さん」 ややあってくぐもった声がの口から漏れ出た。 先程までとは違い身体の苦しさは消えてしまっているらしい。もっとも痛みがあったとしても今のでは表情に出すことはできないのだが。 「悲願を叶える時がきた」 わかるね? 目の輝きを一切失った、ただ血の色をその瞳に携えた少女は父親だと信じていた男の問いかけに嬉しそうに微笑みを浮かべながら頷き答えた。 「我がファミリーの悲願」 ――とても、楽しそうな声で。 「六道骸を、殺す」 |