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金属のぶつかりあう音がこの薄暗い部屋に反響する。聞こえるのはただひたすの浅い呼吸と、コンラードの笑い声。 息を継ぐ暇すらないその戦闘にほう、と関心する闇の中に溶けた何名かの声。大方コンラードに唆されエストラーネオファミリーから抜けた研究者達だろう。ぽたりと流れるのは己の血。増える傷、蓄積される疲労。 「エストラーネオの至宝。あれは使わないのかい?」 不思議そうに小首をかしげるコンラードにそれすら知っているのかと歯噛みした。 エストラーネオファミリーが壊滅してから一部のマフィアにはある程度の情報が開示されたと聞いたが彼もそれを聞き及んでいたというのか。 現在はマフィア界の中で勝手に禁弾と畏怖の目に晒されたそれは、だが研究者からすればどのような制作過程がなされたのかどのようなものなのか知りたいそれ。扱えるのはこの世においては骸だけだった。 その忌まわしい記憶も情報も、マフィアという薄汚れた世界は自分達が危険な目に合わぬようにと血塗られた哀しき歴史は語られることはなく如何に非道で悲惨なものだったかとだけを開示し共有する。 「…そんなもの使う必要が見つかりませんからね」 額から流れる血を指で拭いとりながらもクフフと笑みを絶やすことはしない。 三叉槍に垂れるのは確かにの血。 5年前はランチアに阻まれ、先日の手合わせの時は本能のままに避けられたが今目の前で目を輝かせながらナイフを持つは己が傷つくのを恐れることはない。痛覚も今の彼女にはないのだろう。三叉槍に対して、まるで自分から刺されにでも行っているかのような動きで骸を翻弄する。 非常に厄介な相手だった。 恐らく今、彼女の身体を乗っ取ることは可能だ。だがその間もしも自分の身体が壊されることはあってはならない。 そして万が一自分の体に危害が及ばないとあっても、は今コンラードにより精神支配を受けている。そのうえで自分が契約を完了したからと彼女の体を乗っ取ることは安易にできない。 二重支配に、彼女の意識自体が耐えられるか否か。はたまたコンラードの罠により自分の意識すら何かしら危険が及ぶかもしれない。 打つ術はなかった。 コンラードを殺し、を奪還する。それが如何に難しいか。男は成功体の彼女を手放しはしないだろう。 「、君のご友人は余程君のことが大事みたいだねえ」 「…」 「僕が君を思う気持ちと、同じかな」 「一緒にしないでもらおう」 チリン、と不意に音が鳴った気がした。 その音は聞き慣れた、彼女の首につけられたその鈴の音。しかし周りの誰も反応はない。 その音を合図にの動きが不自然に鈍くなった。こちらを楽しげに見ていた彼女の表情も僅かに強ばり手に持つナイフが一瞬ぐにゃりと歪む。 「…おや、驚いた。意識はとっくに殺したと思ったのにまだ生きているのか。これは非常に興味深い」 「…何を」 話しかけられたことに気分を良くしたのかコンラードは笑みを骸へと向けながらを呼ぶと彼女は大人しく彼の前へと立った。 「この子はね、瞳の子。5年前のあのショックに脳が耐えきれず、恨みと絶望を切り離したんだよ」 彼の左手がを撫で、そしては嬉しそうにその手に擦り寄った。 その笑みはまるで無邪気な子供のもの。自分の知っている彼女の笑みとはまた違っている。 「君を忘れたのではないんだ、その絶望側がよーく覚えているからね。 そして、今表面に出てきているのは絶望側。彼女を守るために彼女の中から現れた、それでいて僕の言うことだけを聞く道具だ」 二重人格に似て非なるものだと。偶然の上に奇跡まで起こしてしまったんだ。 その衝撃的な事実に言葉をなくしを見返した。確かに彼女は先程まで自分に対し揺ぎ無い殺意を持って攻撃を繰り出してきた。 けれどこれは操られた訳ではなく、ただ過去の怒りのみを自分へと抱いた彼女自身だというのか。これも、彼女の本質の一部だというのか。 「でも大丈夫。もうすぐ彼女の意識はゆっくりと一つに戻り、そうすれば最強の僕の人形になるんだ。今まで表に出ていた彼女の意識は弱っているからね、これで僕の言うことを聞くマシーンの出来上がりさ」 苦しいのはもう少しだけだよ、とに向かって歌うように話しかけ、「はい」と嬉しそうに声を返す。彼女を背にしたコンラードは訪れた僅かばかりの異変に気付いていないだろう。 その声色とは裏腹に、絶望を湛えた赤色の瞳が目尻に涙を溜めていたことに。 |