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そのナイフにどれほどの殺傷力があるのかは分からない。その威力は、力は、全ての術士としての力に比例するのだから。 しかしそのまま己の心臓へと達する予定だったそれは骸の衣服一つ傷つけることなく音も無く消え去り、沈黙が流れた。 ――この娘は本当に、どこまでも裏切ってくれる。 「ねえ」彼女のはっきりとした声が耳元で聞こえるが骸はそれに目を細めながらも抱き寄せた彼女の身体を離しはしない。 「何ですか」 「…もう少しマシな起こし方ってないの」 「クフフ、甘い夢にもっと浸っていたかったのですか?」 ハァと、は息をつきながら力なく首を横に振る。 恐らくは彼女の濁った目もいつも通りの色をしているに違いない。 博打に出たわけでも何でもなかった。 Morte frettolosaを体内に入れたあの状態であっても、それでも操られた状態で骸を傷つけるのを厭っている節が見えた。ただそれだけで…それだけで彼女のことを信じることにしたのだ。今までの自分では考えられないことだったが、これが直感というものなのだろう。 もしも彼女が呪縛から逃れ得なかった場合は、なんてそんな事は考えもしなかったのだから。 「けれど目覚めが悪いのには、変わりないわ」 恨みがましく骸を詰る声も、久々に聞いた。 ぽすんと自分の肩に彼女の頭がある。体力を消耗しすぎたのだろう、呼吸は浅い。だが生きている。もう少し安全に有ればよかったものの命を賭けたやりとりの結果だ、仕方はないとは言えの奪還は奇跡に近い。 やがては身じろぎし骸の肩越しに一点を見つめ、そして視線の先には先ほどの自分たちが戦った場があることを確認すると僅かに骸の腕を掴む手に力がこもったのを感じた。ここにの父親だったものはいない。逃げたのだ。 が持ってきた指輪を持ち帰り、彼女を殺すべくMorte frettolosaをその身に打ち込んで。指輪の正体を骸は知っていた。あれはただ単にの父親の指輪等ではなくコンラードにとっての、術士にとっての力を増幅するだけのただの道具。稀少価値のある、ただのモノでしかない。 が大事にしていたのは、父親の指輪ではなかったのだ。恐らく彼女は言わずとももう理解はしているだろうが。 彼女の瞳は何を映しているのだろうか。何を思っているのだろうか。 暫くの無言の間も彼女の身体を離すことは無く、そして彼女も離れようとはしなかった。 「…起こしてくれてありがとう」 「いえいえ。これも僕の務めですから」 「そう。じゃあもうひとつ教えてよ骸さん」 声は僅かに掠れ、震えていた。 目を瞑りながらの頭を撫ぜ、先程と同じく「何ですか」と彼女にかける。 「…私は、どうしたら」 良かったの、かなあ。 ぽつりと小さく呟くようにした言葉に骸は答えることはなかった。 誰かに聞くことも教わることも出来なかった。覚えたことは己の身を守る術。人の生命を奪う術。 敵も分からず、憎む相手も分からず、闇雲に突き進むばかりで、彼女は今までそうやって独りで戦ってきたのだ。 これまで信じてきた土台にあったものが根底から崩れ去ってしまった今、は驚くほどに脆く。 気丈に振舞いながらも身体の震えを、己の意思とは反して流れ続ける涙を止めることも出来ないを、骸は力強く抱きしめた。 自分だっての求める答えは用意出来ないだろう。 すいません、と耳元で。 何に対して謝罪の言葉を告げたのか骸自身ですら分かってはいない。やがておずおずと、回される腕。は自分の意思で骸の胸に顔を押し付け、そして 「…っひっく、」 最初は小さな声だった。彼女は泣いた。 堰を切ったように泣き始めるそれは赤子が親を呼ぶように、庇護を求めるように。 骸はただ彼女を無言で抱きしめ、そして聴いた。 ――誰も気付くことの出来なかった、彼女の、救いを求める声を。 |